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もう一度、LAで生活するのはどうか? [epilogue]

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 車窓からLAを見つめながら考える。

 長い長いマラソン。

 LAからスタートして、東京。そして、LAでゴール。

 20年をかけたマラソンが終わったこと。感じる。

 次はどんなレースが待っているのか?

 まだ、分からない。

 でも、例えば、もう一度LAに住んでみるのはどうだろう?

 毎日、カールスJrのハンバーガーも食べられるし、

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 ウエスタン・ベーコン・チーズ・バーガーは20年振りに食べたが

 フィッシュ・サンドウィッチは機会がなかった。

 ビバリーシネマに通うこともできる。

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 20年前ではないが、

 地元の日本語放送局で仕事するのもありだ。

 3番目に住んだバージル・アパートに住めば、タイムスリップしそうだ。

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 20年間の東京生活こそが、夢のように思え

 20年前の現実の続き、生きるような気がするだろうなあ。

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 或いはニュ−ヨーク?

 もともと、ニューヨークにも憧れていたが、映画はやはりハリウッド。

 LAを選んだ。

 そのLAでもう一度、生活してみるのも悪くないな・・

 車窓を見つめながら、そんなことを考えていた・・。

 (つづく)

 

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車窓を過ぎ去る想い出 [epilogue]

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 富士屋マーケットを出て

 ロスアンゼルス国際空港に向かう。

 バージルAvをサウスへ

 3番目に住んだアパートの側を通る

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 LA滞在最後の日に、知っている人に会えた

 もちろん、彼女にとっては数多い客の1人。

 覚えてはいない。

 でも、オデンオジさんのことを聞けた。

 LAに来なければ・・

 今日、この道を通らなければ・・

 店は潰れたものと思い込み、

 オジさんが亡くなったこと、分からずにいたのだ。

 窓外から4番目に住んだアパートが見える。

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 青春の日々を過ごした場所。

 アルバムをめくるように、現れる。

 20年振りだったLA.

 最初は映画祭が目的だった。

 「観客が映画を受け入れてくれるかどうか?」

 その一点。

 「その合間に、時間があれば想い出の地を訪ねよう」

 そんな感じで、LAに来た。

 だが、思いもかけない展開。

 想い出の場所がことごとくなくなり。

 知る人が皆いなくなっている。

 悲しさと淋しさの連続だった。

 LAに来て、そんな辛い思いをするとは思わなかった。

 でも、同時に、発見もたくさんあった。

 「青い青い空」はLAでの体験、かなりの部分で生きていること

 あのとき通った名画座、黒澤特集。

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 コンサート、アメリカ人との交流。

 それがもの凄く反映されて、出来た映画だということ。

 だからこそ、言葉や国境を越え、多くのアメリカ人観客

 拍手喝采を贈ってくれたのだ。

 そのこと。日本にいては気づかなかっただろう。

 そして、何より20年という月日を確認した・・。

 そして、長い長いマラソンが終わったことも・・。

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 単に映画祭に参加するというだけでない、

 映画作家としての「ルーツ」を再確認する旅になった。

 人生に何度もあることではない。

 LAに送り出してくれたぐるっぽの皆さんに

 ただただ、感謝するばかり。

 ウイルシャー通りを越え、フーバーstをサウスへ

 直進すればUSCだ。

 その横を通り抜けて、空港へ向かう・・。

 (つづく)

 
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富士屋マーケット物語(6ー終) [epilogue]

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 ーーーそうですか・・

 さびしいけど。来れてよかったです。

 「また、LAに来ることがあったら、寄ってね。今年いっぱいは営業しているから」

 オデンおじさんの娘さんはそう言って、見送ってくれた。

 ・・・僕は・・・店を出る・・・。
 
 さまざまな思いに、打ちのめされていた。

 やっと知っている人に会えたという喜び。

 でも、あのオジさんが亡くなっていたという現実。

 そして、オジさんの父が広島出身だということ。

 20年の歳月を経て知ることができた。

 もし、今回、LAに来ることがなければ、彼が亡くなったことも

 広島のことも、

 店は営業していたが、年内で閉めることも

 何も知らずに、僕は東京で生活していただろう。

 でも、あの頃の想い出を共有できる人と出会えたこと

 本当に嬉しい。

 けど、同時に淋しい・・。

 嬉しさと、淋しさと、訳の分からない涙が溢れる。

 僕が帰国して20年の間。

 映画監督を目指し奮闘している間に

 ここLAの小さな食料品店では

 オデンおじさんが働き続く人生が続き、それはやがて終わりを迎える。

 あとを継いだ娘さんの人生。またそこにあり。

 今年で、この店の物語も終わる。

 20年の年月。感じずにはいられない・・。

 (つづく)


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富士屋マーケット物語(5)今年限りで閉店 [epilogue]

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 LAに来て、誰か知り合いに伝えたかったこと

 その女性に話した。

 ーー当時、僕は映画の勉強をしていて、USCに通っていました。

 で、この店で食料買って、生活して、

 20年前に帰国して、日本で映画監督になりました。

 2本の映画を監督しています。

 リトル東京で映画祭があって、そこで上映されることになったので

 今、LAに来ています。

 「凄いわね ! ムービーディクレクターなの?」

 ーーただ、想い出のある場所。ほとんどなくなっていて、

 知っている人も誰もいなくなっていて、悲しかったです。

 でも、この店がまだ営業していて、あなたがいてくれて

 本当に嬉しい。ハッピーです。ありがとう!

 「そう。でも、この店もね。あとを継ぐ人がいなくて

 私たちも年取ってしまったから、今年いっぱいで閉めるの・・・」

 

 (つづく)

 
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富士屋マーケット物語(4)オデンおじさんの人生 [epilogue]

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 その日系人女性。こんな話をしてくれた。

 「彼の父は広島県の出身で、

 戦前にハワイに移住したの。

 その後、ロサンゼルスに来た。息子の彼は二世。

 いろいろあって、この店を始めたの・・」

 あの頃、毎週のようにこの店に来ていたが、一度もそんな話はしなかった。

 20年の歳月を越え、初めて聞く

 オデンおじさんの人生。
 
 あのオジさん。父が広島出身。

 実は僕の祖父も広島出身だ。

 もしかしたら、同じ町だったかも?

 戦前にハワイに渡り、そしてLAへ

 まるで映画のような人生だ。

 息子がLAで日本の食料品店をスタート。

 そこに僕が毎週、買い物に行った。

 そして20年後。この店を訪ねた・・

(つづく)

 
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富士屋マーケット物語(3)オデンおじさんのこと [epilogue]

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 レジにいた日系の女性に話した。

 ーー20年振りにLAに来て、この店に来たら営業していて
 
 うれしかった!

 「ワオー、そうなの? 20年前!」

 ーーその頃よく、日系人のオジさんがレジにいて

 「今夜はオデンですか?」とか日本語で声をかけてくれて

 当時、僕は英語ができなくて、とてもうれしかったのを覚えています。

 彼はどうしているんですか?

 「ああ、彼は、この店のオーナーだったけど、

 何年も前に亡くなったの・・」

 ・・・・言葉をうしなった。

 確かに、当時でも60歳くらいだった。
 
 20年経つと、80歳。亡くなっていてもおかしくない。

 そうだ。先に彼女は18年前からオーナーといった。
 
 ということは、僕が帰国して2年後に亡くなったということだ。
 
 やはり、20年という年月を感じずにはいられない。

 その女性は娘さんで、お父さんのあとを次いで店を経営しているらしい。

 こんな話をしてくれた。

 (つづく)


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富士屋マーケット物語(2)店内は変らず [epilogue]

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 入ってみると、店内はほとんど同じだった。

 タイムスリップしたようだ。

 忘れていた記憶も蘇る。そう、奥は魚と肉の売り場。

 注文するとおろしてくれる。

 そして、いくつもの日本の食料品。

 ラーメン、うどん、納豆、米、ドレッシング、お茶漬け海苔・・。

 あの頃のままだ。

 レジを見る。あのオジさんはいるか?

 レジ前で立ち話をする日系人のお年寄りはいるが

 あの人ではないようだ。

 コーラを2本買い、レジに行く。

 何だか、見覚えのあるおばさん。

 あー、思い出した!!

 20年前ときどき見かけた日系人のお姉さんだ。

 「オデン」のオジさんの印象が強く忘れていたが

 確かに、あの頃もいたはず。声をかけてみた。

 ーーDid you work here 20 years ago?

 彼女も英語で答える

  「イエス、18年前からここのオーナーよ!」

 ーー実は、僕、20年前にこの辺りに住んでいて、

 毎日のようにここに買い物に来たんです!

 (つづく)

 
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富士屋マーケット物語(1)オデン・おじさんの店 [epilogue]

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 ロスアンゼルス国際空港への道

 20年前に最後に空港へ向かったのと同じコースにしてみた。
 
 今回、到着したときに、その逆コースを走ろうとして

 少し迷ったのも悔しい・・・。

 今度こそ、迷わずに行くぞ!

 ハリウッド・ブルーバードを東へ

 バージル・アベニューを右折。南に向かう。

 3番目と4番目に住んだアパートがある通りだ。

 その道を下っていくと、

 あの富士屋マーケットがある。

 もう少し、早くくれば、あのオジさんに会えたのかも・・

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 そう思いながら、窓外を見ていると

 えーーーーーーーーーーーーーー!

 店の格子が開いていて、OPENの札が出ているではないか!

 「fumiさん!止めて下さい!」

 急ぎ車を止めて、店の前へ

 営業していた・・・

 僕の知る、ほぼ全ての店がなくなっていた中

 営業している・・。ここは・・。

 20年前。いや、正式には23年間くらい前

 毎週、買い物に来た場所・・。

 あのオデン・オジさんの店だ・・。

 (つづく)

 
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20Years (下)LAの町が教えてくれたこと [epilogue]

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 そう。知らない内に、

 浦島太郎になっていたのかも?

 竜宮城で過ごしていたら、もの凄い時間が経っていて

 村に帰ると 誰も知り合いがいない・・みたいな。

 この20年。全て犠牲にして、

 映画作りを最優先にして生きてきた。

 本当に映画のことしか考えなかった・・。

 「観客が感動する作品を作ろう! 

 子供たちを応援する物語を作ろう!」

 そのためにどうすればいいか?考え続けた。

 老後のための貯金をするとか、健康的な生活をするとか

 考えたこともなかった。

 「過労死するよ。休みなさい!」

 医者から何度もいわれた。

 でも、映画さえ完成すれば、いつ死んでもいい。

 いつも「これが遺作です」と言い、仕事を始める。

 でも、気づくと、20年という歳月が流れていた。

 「それがどれだけ長い時間か?」

 実感することもなく、今日まで生きてきた・・。

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 想い出の場所がなくなっているのも、当然だろう

 良く知る人たちが誰もいなくなったのも

 あまりにも長い時間が、経ったからなのだ・・。
 
 空港に向かう車の窓から、LAの風景を見ながら

 分かったこと。

 20年は僕が思うより、

 ずっとずっと長い時間であったということ。

 LAの街が教えてくれた。 
 
 (つづく)
 

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20Years (上)17歳の地図 [epilogue]

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 「ブレックファスト・イン・アメリカ」

 その歌を聴き、改めて年月の長さを感じた。

 20年・・・本当に長い月日。

 やはり、LAの街が大きく変わり、想い出の場所がなくなるのも

 当然のことかもしれない。

 むしろ、名画座が何軒も残っていたこと、奇跡?

 僕自身がLA留学の頃から、何も変わっていないので

 余計に街の移り変わりを感じたのかもしれない。

 未だに友人から言われる、

 「40を過ぎても気が若いなあ」

 年配の人からは「いい加減大人になれ!」と言われる。
 
 おまけに自分自身でも、言うことがある。
 
 「だから大人は信用できない!」

 自分こそがいい大人なのだ。

 未だに精神年齢は17歳・・・?

 そう、17歳の地図を走り続けていた。

 でも、だから、真子やみさとの気持ちが描ける。

 大人たちの理不尽な態度が許せないから、
 
 10代にも共感してもらえる物語が作れるのかも。

 そんな思いあるから、歳をとったという自覚がない。

 長い歳月が過ぎたことに、気づかなかったのだ・・。

♫ブレクファスト・イン・アメリカ=>http://www.youtube.com/watch?v=dbiugrfo7G4

 (つづく)

 
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