浜松第二高校ロケ(5)/書道部室の後ろ側 [想い出]
真子(相葉香凛)たちが入部した書道部
最初は物置状態だが、次第に片付けられ、部室らしくなる。
それにより時間の経過と
真子たちがいかに真剣になってくるか?
を表現している。
写真上はトン子(田辺愛美)が入部する直前の様子
美術部さんのお仕事。
映画では背景としてしか見せないので
ここではじっくりご紹介。
(つづく)
浜松第二高校ロケ(4)/校長室 [想い出]
映画の舞台となる浜松第二高校(架空の学校です!)
この日は校長室、職員室での撮影。
出演は波岡一喜、鈴木砂羽、塩見三省、
ベテラン贅が勢揃い。
「何か、別の映画に出ているみたいやなあ〜」
と言うのは、波岡一喜君。
ほんと、社会派のドラマを撮影しているような重いものがある。
実力ある俳優は1人でもパワーあるのに
こんなに集まると、もの凄いエネルギーの渦を巻き起こすこと実感。
(つづく)
浜松第二高校ロケ(2)/教室シーン! [想い出]
写真上。右が監督(私)左が照明部の技師さん。
まずは、その日の撮影の概要を
俳優とエキストラさんに説明。
振り向いているのは、
右・真子(相葉香凛)左・みさと(草刈麻有)。
クラスの落ちこぼれコンビ。
立っているのはミチル(平沢いずみ)。帰国子女で英語がぺらぺら。
そんな教室で撮影が進む。
録音部の助手さん。
向こうに学級委員七人衆のトラちゃんがいる。
「青い青い空」
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浜松第二高校ロケ(1)/撮影風景 [想い出]
先に浜松ロケ地巡りの旅シリーズをお届けした。
が、ロケ地の中にはいけない場所もある。
個人のお宅とか、会社とか、学校。
なので、その辺は紹介していない。
真子(相葉香凛)たちの学校も同様だが、物語の重要な舞台となった場所
撮影風景等を少しだけ紹介させてもらう。
場所は
浜松学芸高校。
撮影前から、いろんな面でお世話になった。
書道コースや音楽コースもあり、芸術を学ぶ生徒さんもたくさんいて
卒業生も各界で活躍している。
その意味でも、映画に対する理解も戴けたのだろう。感謝。
撮影時の写真。紹介する。
(写真下。撮影後の記念写真。右から太田監督、平沢いずみ、演出部チーフ、相葉香凛)
(つづく)
映画監督を目指したころ(下)書かなければ上手くならない! [想い出]
映画監督になりたい!
脚本家を目指している!
そういいながらシナリオを書こうとしない友人たち
人の作品を見るとこういう。
「俺が監督ならもっと、凄いものができる!」
批判できない部分はある・・
実は僕も最初はそう思っていた。
が、いざ、作ると思ったようにはいかないことも分かる。
8ミリ映画でさえも、何本も作らないと、
評価されるどころかイメージしたものさえ、作る事はできなかった。
シナリオも同じ。
自分が書きたいものを書くのには、表現力が必要。
だが、書かないと表現力は育たない。
「俺は才能があるから!」
という奴もいるが、それは勘違い。
いくら能力があっても
数を書かないと、人に感銘を与えるシナリオは書けない。
最初から力作が書ける!という人など存在しないのだ。
アメリカ留学から戻り。
アルバイトをしながら、シナリオを書き始めた。
でも、次の問題が立ちはだかる。
シナリオを映画会社に持ち込もうとしたら、ほとんどの会社で拒否された。
「そんな暇も、そんな人員もいない」
と言われる。
そこで先輩の助監督やプロデュサーに見せてまわった。
でも、彼らもなかなか読んでくれない。
映画監督への道。
そこからスタートしたこと思い出す。
いろんなことがあって、何度も絶望して、
また、戦って、1995年に脚本家デビューする。
2年後、監督もするようになった。
でも、今までとは違う壁が見えて来る。
それをどうやって越えるべきか? 次なる課題となった。
それはまたいずれ。
(この項、了)
映画監督を目指したころ(中)シナリオを書かない人たち [想い出]
脚本家を目指す後輩、こういう
「賞に応募しようと思うんだけど、いいネタが見つからないんですよ・・」
皆、何か理由をつけて書こうとしない。
しかし、仲間内で一番にプロの脚本家になった友人。こう言う。
「時間がない。金がない。ネタがない。
そんなことを言っていたら、一生、シナリオなんて書けない。
3日間。時間がある。そうしたら書け。
金がなかろうが、ネタがなかろうが、何としても書く!
いいネタを思いついた。
時間がなくても、金がなくても書く。
金が少しある。
1週間はバイトせずに済む。
それなら、どんなことをしてでも1本シナリオを書く!
自分を追い込まないと、シナリオなんて絶対に書けないんだよ!」
その通りだ。
プロデュサーがやってきて、
「ギャラは**万円です。よろしくお願いします」
なんて言ってもらうのは、夢のまた夢の話。
何より依頼がもらえるようになるために、書く力を付けねばならない。
何本も書いて力を付ける。
なのに「時間がない」「金がない」「ネタがない」
と言っていてどうする?
(つづく)
映画監督を目指したころ(上)脚本を書いて監督になる? [想い出]
高校の頃から、映画が好きだった。
学校が大阪だったので、帰りに大毎日地下劇場とか、
戎橋劇場によく行った。(校則では駄目だったけど!)
その内に自分でも、シナリオを書いてみたくなった。
でも、どんなふう書けばいいのか?
全く分からない。
キネマ旬報とか、映画の書籍に載ったシナリオを見て勉強。
見よう見まねで書き始めた。
高校を卒業後。映画の専門学校に行く。
でも、あまりに退屈で、半年で登校拒否?
自主映画を始める。そして、助監督を経験。
その後、アメリカ留学。南カルフォルニア大学の映画科で学んだ。
帰国後。映画監督を目指す。
一番の早道はシナリオを書くこと。
(だと思った・・)
アルバイトをしながら、とにかく書き続けた。
何より書かなければ、うまくなれない。
なのに、まわりにいた友人たち、
映画監督を目指しているという彼らは、こういう。
自主映画を続ける友人
「今、金欠でバイトしていて、
シナリオを書く時間がないんだ・・・」
助監督をする友人
「仕事が忙しくて、書く余裕がないんだ・・」
(つづく)
悲しき少女たち(5−終)再会 [想い出]
先の演劇学校に通っていた女の子。
その内の1人と、8年後に再会した。
僕が去ったあと、学校を辞めて、劇団に入ったという。
大きくはないが、年何回も公演をするところ。
主役を演じることもあるという。
見に行ったが、あの頃とは見違えるような演技。
あの学校の呪縛から逃れて、大きな成長を遂げていた。
その子。小さな役だが「青い青い空」に出てもらった。
こう言っていた。
「とても勉強になりました。そして、どんな役でもいいから映画に出るのが
子供時代からの夢だったんです・・」
今年も舞台に立つという。
アルバイトしながら、稽古にがんばっている。
「生活は大変ですけど、楽しいです。
自分の夢だった、演劇やってますから」
笑顔でそう話してくれた。
(了)
悲しき少女たち(4)大人になったとき [想い出]
振り返ると、自分のプラスになっていたのは
学校の退屈な授業ではなく
映画やレコードから学んだことばかり。
「大人たちは良かれと思い、無意味なことを、
子供たちに押し付けていないか?」
高校時代、ずっとそんなことを考えていた。
僕も大人になり、仕事を始める。
講師の仕事をして気づいた。
今も同じことが続いていた。
俳優になりたい子が集まる演劇学校で
ようやく心を開いた子を辞めさせる親。
無意味なことを教え、子供たちの可能性を潰す校長。
高校時代の思いがリアルに蘇る・・。
「だから、大人は嫌いなんだよ・・」
しかし、考える。
ずっと、大人を批判していた僕だが、
大人になった今、それでいいのか?
それなら自分なりの何かを主張し、掲げるべきではないのか?
大人の自分が、大人を批判しているだけではいけない。
今度は僕が、子供たちに何かを伝えなければならない。
無意味なことを押し付ける、大人になってはいけない。
その思いを込めて作ったのが、「青い青い空」だ。
(つづく)