2008年の終わりに [日々報告2008]
年始年末。会社が全て休んでしまい、仕事ができずイライラしていた。
が、ふと気づくと、もの凄く疲れていることに気づく。
ここしばらく、信じられないようなミス。続いていたのもそのせいか?
約束の日を間違えたり・・。生涯初(!)
アパートの鍵を鍵穴に、さしたまま出かけたり。(6時間ほど)
泥棒に「入ってくれ!」と言ってるようなもの。
どうも、精神的にもかなり疲れていたようだ。
「この正月は休め!」という神様からのメッセージかもしれない。
何だか、後悔の多い1年だった。
昨年もそうだが、心なき人たちと接することが多かった・・。
自分の言葉の責任を取る事もできない。
「お願いします!」と頭を下げて頼み事をしながら、勝手に投げ出してしまう人。
能書きを垂れるばかりで、やるべきことをしない人。
本人は良かれと思ってやっているのだが・・やること成す事、全て仕事を後退させている人。
「仁義なき戦い」の菅原文太の台詞を思い出す。
「上のもんがアホやと、下のもんが苦労するんじゃあ〜」
シナリオ取材としてなら、今年も大豊作(?)。
映画界には多い妖怪変化のたぐいだが、それ以外の業界でも、その種の人に何度も対峙した。
しかし、本当に「彼こそサムライだ!」という人たちもいる。
今年も何度も助けられた。チカラを借りた。
昨年、演出した書道ドキュメンタリー番組も、大評判。
もの凄い反響があった。
やはり、スタッフの1人1人が真剣にかかったものは、人の心に伝わる。
そこで共に勝ち取ったもの。何とか来年に繋げたい!
それにつけても思うこと。急激な価値観の変化。
企業も、個人も、お役所も、どんどんと置き去りにされている。
古い価値観にしがみついている人々。自分の首を締めるだけ。なのに気づかない・・。
多くの企業が減収。リストラ。
しかし、見ていると、不況だから問題が出たのではない。
問題のある企業が不況により、明確になっただけ。
時代のニーズを見誤っていたあの会社。大量リストラを発表。
対するライバル社。そんな話は聞かない。
近所の商店街。この数年で何軒も潰れた。でも、潰れた店には行ったことがない。
或いは、1度っきりで2度と行くまいと思った店。
やはり問題のある店から潰れて行く。
関係者は「不況でダメになった」というが、実は日頃からの努力が足りなかっただけではないか?
「映画の世界。同じだ・・・」と感じる。
これからの時代。何を信じ、何を掲げ、何を主張して行くべきなのか?
個々が問われる時代のように思える。
来年はどんな年になるのか? 不安と期待が交差する。
そして来年こそ、次回作「書道♡ガールズ」。本格的にスタートさせる!
(来年につづく)
年始年末、そんなの関係ない? [日々報告2008]
やるべきことはあるのに、世間は年末!
仕事納めで、会社も閉まる。こちらの仕事もストップ。
映画というヤクザな仕事をしていると、盆暮れ正月も、クリスマスも関係なく進む。
土日も、休日も関係ない。
たまに映画を見に行くと、人でいっぱい? ああ、今日は祭日か・・。ということもある。
先日もビックカメラに行ったら、カウンター前に客が長い列。
何事だと思ったら、クリスマス・イブだった・・。
皆、DVDとか、ゲームソフトとかのプレゼントを買っていたのである。
とにかく、この年始年末。1週間ほど。動きが取れない。
イライラしながら、過ごす・・。
2008年後半の出来事・・ [日々報告2008]
小室哲哉が逮捕。
ボクシングの内藤、4度目の防衛に成功。
飯島愛が死去。
イチローがWBCへの思い、ニュースで語る。
矢沢永吉は今年、コンサートをしなかった。
でも、SONYのブルーレイのCMに、出まくっていた・・。
ザ・フー、ビリージェエル、ジャクソン・ブラウンのコンサートが続けてあった。
が、どれも行けなかった・・。
原宿のローリングストーンズ・グッズの店が閉店。
セールがあり、何か買おうと行った。が、何も買えなかった・・。
唐組が「ジャガーの目」を再演。これも仕事で行けず仕舞い。
ここ4年ほど唐組、皆勤賞だったのに・・。
ゴミの出し方が変わり、いつ燃えないゴミを出していいか分からず。
長らく部屋は、ゴミや屋敷に近づいていた。
「ヒーローズ」と「プリズンブレイク」必死で見た。
大河ドラマの「篤姫」は1回も見なかった・・。
映画は「ダークナイト」と「ポニョ」
僕自身はいくつかテレビの仕事をした。
書道のドキュメンタリーを担当できたことは、大きなプラスだった。
「書道♡ガールズ」はシナリオのリライトを1年続ける。
が、製作準備は一進一退だった。
そんな2008年も、あと数日・・・。
(つづく)
カップ麺の日々 [日々報告2008]
このところ、部屋で書類作りをしていることが多い。
1日中外に出ない日もある。
外食するのも、時間がもったいない。(近所の定食屋あるけど)
部屋で作るのも、時間がかかる。
それで結局、カップ麺を食べてしまう。
かなり長い期間。それらを食べるのを辞めていた時期がある。
が、便利に出来ているのと、冬で寒いのもある。
健康に気遣い、せめてネギだけは刻んで入れる。
(つづく)
懐かしのスンドゥブー [日々報告2008]
牛丼のチェーン店で「スン豆腐チゲ」という新メニューが登場。
韓国語で言う「スンドゥブー」である。
アメリカ留学時代。よくコリアン・タウンで食べた。
日本で、それもメジャーなチェーン店で、食べれるようになるなんて凄い。
値段は500円。
味は日本風にしてあり、多少違ってはいる。が、基本はスンデゥブーだ。
また、食べに行く。
ここ5日ばかり、部屋に籠って書類作成。
チカラ入れ過ぎて、書類ではなく本になりそう・・。
(つづく)
自宅でできるエコノミー症候群? [日々報告2008]
ここしばらく、パソコンに向かって作業する日々が続いていた。
起きてから寝るまで。途中、トイレ休憩を入れても、12時間以上。
食事もパソコンの前で。
さまざまな書類。シナリオ。資料。メール。先輩へのお礼状。ブログの更新。
毎日、薄い文庫本くらいの量の文章を書いていそうだ。
あと映像資料の編集。これも時間がかかる。
自宅でも十分に、エコノミー症候群になる。おまけに腰痛、肩こり・・。
やばい! と思って外出。1時間くらい歩く。先日はそのまま外で仕事をした。
手書きで書く手紙。新鮮だった・・。
(つづく)
後輩監督を悼んで(6ー終)残された者の義務 [日々報告2008]
渋谷の飲み屋。林田君もよく来たという店。「ブリュレ」のポスターも貼ってある。ぬるくなったビール飲んでいると、先輩が話しかけてきた。
「太田ぁ。お前は死ぬなよ!お前は必ず次回作を作れよ。最近、映画が好きな奴からいなくなる・・。お前は必ず映画撮れよ! 林田の分も映画撮れよ!」
「ストロベリ-フィールズ」のマキと同じことを言われた。先にも書いたが、あの映画。本気で遺作になってもいいと思ってかかっていた。全てを賭けて作った。
「デビュー作が遺作!」それがキャッチフレーズだと思っていた。けど、僕は死なずに、次世代の林田が先に逝く。本当にデビュー作が遺作になってしまった・・。
最近、特に感じること。先日のドキュメンタリー番組をやっていても思っていたこと。生き残った僕の、次のテーマは・・・。
「死なずに、作品を作り続けること・・・」
死んで行った友人たちの分も、作品を作ること。改めてそれを感じる。
後日。林田とよく行った近所の中華料理屋へ。彼の住むアパートと隣にあるビルの地下。
「また、餃子。食べに行きませんか?」
それが合い言葉になっていた。年賀状にまで「また、餃子を・・」と書いていたので笑った。
互いに何かあると「そろそろ、餃子でも・・」とかメールを出した。その店でビールを飲み、餃子を食べて映画の話をした。最後に彼と電話で話したのもここ・・。
「今、餃子食べてんだけど、降りて来ない?」
彼の部屋。中華料理店の隣のビルの5階だ。2分で来れる。でも、こう言われた。
「今、銀座にいてすぐに戻れないんです!」
「残念。じゃあ、また連絡するよ!」
それが最後の会話となった。その店で、林田を偲んだ。いつものように生ビールを2杯頼む。1杯は僕。もう1杯は彼の分。
そして餃子もオーダー。最後の乾杯。これからは同じテーマを描く作家として、林田の分も映画を作って行く・・。
そんな彼の遺作「ブリュレ」。東京公開が盛況の内に終了。次は名古屋で公開。僕の「ストロベリーフィールズ」もかけてくれたシネマスコーレさんで上映されると聞く。
とても素敵な映画館で、舞台挨拶でもお世話になった。多くの有名監督のサイン色紙に混じって、僕のも飾ってくれている。
名古屋の方はぜひぜひ、ご覧頂きたい。華やかな商業映画ではないが、ポエトリィで繊細。「生きるということ」を描いた素敵な作品である。
(了)
後輩監督を悼んで(5)遺作 [日々報告2008]
映画葬のあと、彼の友人や先輩たちと、朝まで渋谷の街を飲み歩いた。林田君の映画学校時代の同級生や後輩と、朝まで彼と彼の映画について話し続けた。
結局、2年もいろいろと応援し、アドバイスし、公開を楽しみにしていた「ブリュレ」。その感想を彼に伝えることはできなかった。
こんなことなら、もっと、もっと、僕の経験を話し、宣伝にプラスになることしたかった・・。
友人や同級生と話していて、訃報を聞いて林田君の部屋を訪ねた日のこと。思い出す。近所に住んでいたので、彼のアパートまでは15分。5階の部屋に上がる途中、片付けが始まっている荷物が置かれていた。
映画の小道具である松葉杖や警察車両用のサイレン。そして膨大な本とビデオテープ。部屋に入ると、友人たちが集まり片付けが始まっていた。
積み上げられたビデオ。その一番上。「ストロベリ-フィールズ」のDVD。以前にプレゼントしたものだ。捨てずにちゃんと、持っていてくれたのか・・。
彼とは共通点が多い。シナリオライターとしてスタート、メイキング監督、大阪出身(僕は和歌山だが、長らく彼の故郷の隣町に住んでいたことがある)自主映画活動、女子高生が主人公で死を描いた物語。映画学校で習った先生も同じ。
そして僕が、自身で製作費を集め「ストロベリーフィールズ」を完成させたように、林田も自分で製作費を作り「ブリュレ」を作り上げた。僕が歩んで来た道を振り返ると、そこに彼がいるという感じ。
しかし、自分で映画を作るというのは本当に過酷。様々な壁があり、危機があり、問題が頻発する。大きな経済的な負担をがあり、食うや食わずになったり。なのに邪魔をしたり、足を引っ張る輩が出て来る、金目当てに近づく奴もいる。
数々の圧力や壁に押しつぶされて、諦めそうになる。それでなくても、プロデュサー業、脚本、監督、編集と、1人で何人分もこなすのは重労働。
僕も、心と体もボロボロになった。何度も過労でダウンして寝たきりになった。病院へ行くと、医者に言われる。
「君ねえ。過労を甘く見たらダメだよ。本当に死ぬからね? 休まないとダメだよ。仕事ばかりしていると、本当に死ぬよ。少なくても1ヶ月は仕事せずに安静にして休養を取るように!」
医者の指示を守らなくても、動けなくなり、寝たきりになる。3ヶ月近く起きらなかったときもある。そんなことを何度も繰り返して、撮影まで辿り着く。東京公開が始まる前にも倒れた。
もし、あのとき死んでいたら・・・。そのあとの光景が、彼のアパートで現実のものとなっていた。もし、僕が過労死していたら、同じように友人たちがアパートに来て、部屋を整理してくれたのだろうか・・・。
林田君も、同じようにボロボロになりながら、公開まで辿り着いはず。他人事とは思えない。そんな思いをして作り上げた作品が、「ブリュレ」なのである・・.
(つづく)
後輩監督を悼んで(4)映画に込めた思い [日々報告2008]
友人の映画監督・林田堅太の映画葬。そこで彼が、次回予定した作品の話を聞いた。
広島が舞台。原爆が落ちる日の物語で、ヒロインの女子高生の青春が一瞬で終わってしまうというもの。
はかなく消える10代の女の子の命。それが彼の中で、ライフワークであり、繰り返し取り組まねばならないテーマとなっていたのだろう。それで僕の映画に、あそこまで感動してくれたのだ。
その映画「ストロベリーフィールズ」。女子高生が3人も死んで、幽霊になって帰ってくる物語。でも、再び辛い思いをして、生きている者と引き裂かれて行く。そこに込めた思いがあった・・。
可愛がっていた17歳の女優の卵がいた。わずか数年後に亡くなる。本当の話だ。世の中、間違っている。それからは生き残った僕がすべきことを考え続けた。その思い。映画「ストロベリーフィールズ」に託した。
映画葬の夜、林田君にも同じ経験があったと聞く。その思いを映画に込めていたのだ。2人は同じ思いで、作品作りをしていたことを知った・・。
死んで行く家族がいる。消えて行く仲間がいる。だから、その悲しみを胸に生き残った者が、その人の分もしっかり生きて行かねばならない。
だから「ストロベリーフィールズ」のクライマックス、死神に連れて行かれるマキ(谷村美月)に、こう叫ばせた。
「夏美。お前は死ぬなよ! 理沙や美香の分も生きるんだぞ!」
林田君。そのシーンでも号泣したという。まさに彼自身が叫び続けていた言葉だったから。そして、それは彼自身にも向けられたメッセージであった。
「堅太。お前は生きて映画を作れ! 映画監督になれ!」そんなふうに聴こえたに違いない。
当時、すでに完成していた「ブリュレ」。「何としてでも公開せねば・・俺は生きて映画監督にならねば・・」そう誓ったに違いない。
しかし、彼の砂時計。すでに残り少なく、2年少々しか残っていなかったのだ・・。
先日。やっと映画が公開。初日は大入り満員。初日には駆けつけられなかった。が、HPを見ると、ブログを書いていた。撮影時の苦労や公開中のニュース。劇場にも毎日行っているとも書いていた。
僕が「ストロベリーフィールズ」のときにやったこと。ブログを見て劇場に来てくれる人も多かった!とアドバイスしたのだが、ちゃんと実践していた。
そんな彼、劇場での何度目かのトークショーのあと、仲間と飲みに行った。その夜は上機嫌で、みんなが帰ったあとも店で一人で飲み続けた。
早朝。アパートではなく、飲み屋から近かった、編集室へ行って仮眠を取ったという。そこで彼は眠るように死んだ・・・。発見者である女性スタッフ、そう話していた。
そのことが報道され、一時は減っていた客足が急に増えて、連日立ち見状態・・・。僕が行ったときも立つスペースさえないくらいの大入り。
命と引き換えに大宣伝して映画をヒットさせた。でも、彼はその長蛇の列を見ることは、なかった・・。
(つづく)
後輩監督を悼んで(3)デビュー作が遺作 [日々報告2008]
結局、林田君の「ブリュレ」を見たのは、彼の訃報を聞いてから。
双子の女子高生の物語だった。
1人は難病で死が近い。もう1人は放火癖を持つ。
2人は警察に追われ旅に出る。
「最後に想い出の海を見たい・・」
と、知り合ったキック・ボクサーらに助けられながら、
その海を目指すという物語。
僕が監督した映画「ストロベリ-フィールズ」と同じ方向の映画であり、
共通するテーマがいくつもあった。
だからこそ、彼は人一倍「ストロベリー」を理解し、
感動。劇場で号泣したのかもしれない。
「太田さんの映画に凄く励まされました。僕もがんばります!」
と言っていた。
その作品「ブリュレ」。仲間の応援を得て、4年ほどかけて撮影。
製作費がなくなり何度も撮影を中断。夏が終わり、冬が来て、また夏が来る。
そしてまた冬・・・・。
主役の女子高生がどんどん成長して、困ったという。
結局、何百万円も借金。2年前に完成。
さらに2年かかって、ようやく公開。
僕が「ストロベリ-」で経験した厳しい年月に、限りなく近い生活を送っていた。
他人事とは思えず、応援していた!
僕がやってうまく行ったこと。失敗したこと。彼にはいろいろと話していた。
そんな彼の映画、やっと公開されたのに・・・。
その作品が遺作となり・・・・32歳で人生を終えるなんて・・・。
(つづく)
双子の女子高生の物語だった。
1人は難病で死が近い。もう1人は放火癖を持つ。
2人は警察に追われ旅に出る。
「最後に想い出の海を見たい・・」
と、知り合ったキック・ボクサーらに助けられながら、
その海を目指すという物語。
僕が監督した映画「ストロベリ-フィールズ」と同じ方向の映画であり、
共通するテーマがいくつもあった。
だからこそ、彼は人一倍「ストロベリー」を理解し、
感動。劇場で号泣したのかもしれない。
「太田さんの映画に凄く励まされました。僕もがんばります!」
と言っていた。
その作品「ブリュレ」。仲間の応援を得て、4年ほどかけて撮影。
製作費がなくなり何度も撮影を中断。夏が終わり、冬が来て、また夏が来る。
そしてまた冬・・・・。
主役の女子高生がどんどん成長して、困ったという。
結局、何百万円も借金。2年前に完成。
さらに2年かかって、ようやく公開。
僕が「ストロベリ-」で経験した厳しい年月に、限りなく近い生活を送っていた。
他人事とは思えず、応援していた!
僕がやってうまく行ったこと。失敗したこと。彼にはいろいろと話していた。
そんな彼の映画、やっと公開されたのに・・・。
その作品が遺作となり・・・・32歳で人生を終えるなんて・・・。
(つづく)