自分のスタイル? 自分のキャラ?(1)お笑い芸人 [最近、考えたこと]
ミシェルの漫才が見たくて、お邪魔したお笑いライブ。
でも、いろいろと感じることがあった。
ほとんどの芸人さんは若手。テレビのゴールデンタイムを目指して
がんばっている人たちだ。
アルバイトしながら、時間さえあればネタを考えて。
休みの日に相方と、練習。
いつの日か、ゴールデンの冠番組を持つのを夢見る人たち。
芸人さんというと、乗りがよく、変な人で、ちゃらんぽらんな印象があるかもしれない。
でも、今回の人たちもそうだが、
皆、本当にまじめで、まっすぐ生きている。
もの凄く努力をしていること。強く感じる・・。
というのも、お笑いはとても厳しい世界なのだ。
(つづく)
「赤ひげ」=>? [最近、考えたこと]
しかし、いざ、「赤ひげ」的な物語を器にして
シナリオを書き出すと、どんどんと違うイメージになって行った。
さらに撮影をすると、また違うイメージに展開。
たぶん、完成した作品を見ると「赤ひげ」の影も形もないだろう。
でも、「赤ひげ」を目指した訳ではない。器として考えたので
それでokなのだ。
そして面白いのは、編集段階、
繋がった映像を見ると、「赤ひげ」どころか
別の映画がチラホラ見える。
自分で意識していないのに、いくつもの作品が見え隠れした。
(つづく)
「赤ひげ」保本とおとよ [最近、考えたこと]
「赤ひげ」は保本(加山雄三)と
師匠・赤ひげ(三船敏郎)の物語。
となると、保本が書道を学ぶ「女子高生」で、赤ひげが「書道の先生」だと考えるだろう。
でも、それは違う。
赤ひげのような偉大な医者では、女子高生が着いて来ない。
むしろ、未熟な保本が書道の先生で、
「赤ひげ」の前半終わりに登場するおとよ(二木てるみ)
彼女こそが、女子高生の役割。
そこで、保本とおとよの関係をイメージ
物語を作ろうと考えたのだ。
(つづく)
「赤ひげ」と書道映画 [最近、考えたこと]
いろいろと考えた。
書道教師と生徒たちの物語。
でも、「教師もの」ではない。
「飛び出せ!青春」「金八先生」「熱中時代」「GTO」「アリよさらば」でもない。
そうして思いついたのが、黒澤明監督の「赤ひげ」
物語は若き医者・保本(加山雄三)が赤ひげと呼ばれる医者に師事。
最初は逆いながらも、やがて医術とは何かに気づき、成長して行く話だ。
「教師もの」ではない。「師弟」関係のドラマ。
世界の黒澤はやはり、映画のスタンダードがある。多くの監督が模範とするのも分かる。
そんな「赤ひげ」を参考にして、書道映画ができないか?
考えてみた。
(つづく)
「ミンボーの女」と「野良犬」 [最近、考えたこと]
その意味で「教師もの」ドラマにしてはいけない。
では、何のか?
伊丹十三監督が「ミンボーの女」を作るとき、器を何にするか?考えたという。
「映画を作るときは、その受け皿を過去の名作に探す」
というようなことを言っていた。
民事介入暴力の物語をどんな器に入れれば、分かりやすく、見やすく、面白いか?
結局、ご本人はその答えを言っていないが、
間違えなく黒澤明監督の「野良犬」だ。
多くの人に馴染みのある刑事ドラマを器にして、ミンボーを描いたのだ。
では、僕の場合はどうか?
(つづく)
では、何のか?
伊丹十三監督が「ミンボーの女」を作るとき、器を何にするか?考えたという。
「映画を作るときは、その受け皿を過去の名作に探す」
というようなことを言っていた。
民事介入暴力の物語をどんな器に入れれば、分かりやすく、見やすく、面白いか?
結局、ご本人はその答えを言っていないが、
間違えなく黒澤明監督の「野良犬」だ。
多くの人に馴染みのある刑事ドラマを器にして、ミンボーを描いたのだ。
では、僕の場合はどうか?
(つづく)
「教師ドラマ」では駄目だ。 [最近、考えたこと]
なぜ、「教師もの」パターンでは駄目か?
この混迷の時代。型破りな教師が一人でがんばっても
何かを変えて行くことはむずかしい。
学校で教えるだけで、子供たちを救い、導くことはできない。
親や友達。近所の人。教師。様々な大人が手を取り
真剣にならないと駄目なのだ。
おじいちゃんも、おねえちゃんも、食堂のおばさんも、お店の兄ちゃんも
みんなで子供たちの将来を考えることが大切。
そうだ。そんな映画にしよう。
教師と生徒だけの物語ではない。
親と子。大人と子供。姉と妹。そして友達同士の物語。
みんなで考えて、みんなで助け合ってこそ
見つめるべき明日が見えてくるはずだ。
(つづく)
映画という器? [最近、考えたこと]
それが書道を題材にした映画を作ろうと思ったきっかけだった。
テーマはこれ!
「書道を通じて大切なことを伝える」
題材とテーマは決まった。
料理でいうと、その部分はカレーだったり、ハンバーグという部分。
それをどんな味付けをして、どんな器に入れるか?
それが映画としての部分。
カレーをおいしく食べるには、何色の? どんな形の器がいいか?
映画でいえば、どんなジャンルの、どんなスタイルの映画か?
ということを考える。
例えばテレビドラマの「教師もの」パターン。
型破りな先生がいて、生徒たちは反発。
でも、やがて支持されて、卒業式に皆が抱き合う。
このパターンではない。
(つづく)
書道が持つ素敵な考え方 [最近、考えたこと]
書道の世界では
個性を大切にすること
気持ちを表現すること
人の気持ちを理解すること
人の真似でないこと
上手下手ではないこと
書道以外の世界にも通用する「考え」や「哲学」がたくさん存在した。
これからの時代に大切な発想ばかりだ。
まさか、書道のような何千年も前からある文化に
新しい時代に必要な発想あるとは・・驚いた。
これを子供たちに伝えたい!
そうだ。書道を題材にして物語を作ろう。
そうすれば、分かりやすく、大切なことを伝える映画ができるはずだ!
(つづく)
ナンバーワンからオンリーワンへ [最近、考えたこと]
ある仕事のために書道を取材した。
書道というのはお手本を見て、奇麗な字を書くものだと思っていた。
が、多くの書家はこういう。
「書道というのは奇麗な字を書くことではなく、
自分らしい、個性的な、気持ちが籠った字を書くことが大切」
その考え方に感動した。
これって、この10年言われている
「ナンバーワンではなく、オンリーワン」
ということではないか!
(つづく)
混迷の時代を生きるために必要なもの [最近、考えたこと]
先の見えない時代。
過去の価値観が通用しない。
そんな不確実な社会を、生き抜くために必要なもの。
子供たちが生きて行く上で、必要な「知恵」。
そして、ものごとを「見る力」と「判断力]
伝えるべきは、それらではないか?
では、どうすれば、それらの力を育て、学ぶことができるか?
それはアメリカ人としゃべれない英語教育や
社会生活では必要のない数学ではないだろう。
それを探し続けていて、出会ったのが書道。
僕自身も意外な発見だった。
(つづく)