子供たちに伝えるべきこと [最近、考えたこと]
必死に勉強して、有名大学を出ても
リストラ、倒産。
学んだ学科が実社会で役立つこともない。
終わりが見えない不況。
昔みたいに子供たちに
「勉強しなさい!」「いい大学へ行きなさい!」
と言っているだけでは、もう駄目だろう。
時代の価値観は大きく変わり、昔と同じことをしていると置いて行かれる。
なのに、取材をすると、今もなお。僕の学生時代と同じように
親たちは「いい大学へ我が子を行かせたい!」と願っていた。
時代の流れに逆行している。では、そんな時代。
親たちは何を子供に伝えればいいのか?
そのことを、何年も考えていた・・。
(つづく)
金八先生も助けてくれない [最近、考えたこと]
その答え。金八先生も出してはくれなかった。
子供たちの悩みを真剣に受け止め、考えてくれる金八先生も
受験となると、否定することなく、
勉強する生徒たちを応援していた。
確かに、僕が高校を卒業してからも、
1流大学に行くことが人生の安定に繋がっていた。
子供たちに勉強させることが、「将来の安定」に繋がったのである。
大人が考える「子供たちの幸福」に結びついたのだ。
それが、バブル崩壊。リーマンショック。
苦労して一流大学に入ったのに、一流企業に就職したのに
リストラされる。企業そのものが倒産する。
路頭に迷う人々。職を探す管理職。就職できない若者たち。
そこでは彼らが必死に覚えた方程式も、日本史の年号も役に立たなかった・・。
(つづく)
役に立たない授業 [最近、考えたこと]
しかし、同級生の言葉には納得できなかった。
なぜ、学校で学ぶこと。将来役に立たないのか?
人生であまり役にた立たない数学や古文を教えるのか?
6年間も学ぶのに、なぜ英語が話せるようにならないのか?
中学1年のとき、英語の授業があること本当にうれしかった。
でも、次第に嫌いになった。なぜ、英語が好きな生徒が嫌いになるのか?
それは教え方が間違っているのではないか?
結局、僕はアメリカに留学。英語を学んだ。6年かかっても話せなかったのに
2年でかなりできるようになった。
やはり、日本の英語教育は間違っている。
中学高校の6年間。もの凄い記憶力があり、多感な時期。
無意味な学科を教えるだけでなく
その間に伝えるべき、大切なことがあるんじゃないか?
将来、何の役に立たない学科を教えるより
時代を見つめる目を育てること。
人の気持ちを理解すること。教えるべきではないか?
(つづく)
負け犬の遠吠え [最近、考えたこと]
僕の学生時代。
がんばって勉強し、いい大学に行けばいい会社に就職し、終身雇用で、
生涯安定だった。
だったら大手の、一流の企業に就職したい。
そのために、一流大学、有名大学に入るということが大事。
そんな社会背景があった。
クラスメートに言われた。
「太田はすぐに何のために勉強するのか? こんなことが役に立つのか?
なんて言うけど。そこで立ち止まっていても、何も変わらないぞ。
とにかく、勉強して成績上げればいいんだ。一流大学に入ればいいんだよ。
それからゆっくり考えろよ」
こんなことを言うクラスメートもいた。
「勉強せずに、成績悪いと、ろくな大学には行けない。
いい大学を出ないと、まともな就職はできない。負け犬になる。
世の中が悪い。社会が間違っているといっても、
それじゃ負け犬の遠吠えなんだよ」
それでも納得は行かなかった。
何が正しいのか? 何が大切なのか?
僕が、映画監督の道を選んだのは、その答えを見つけるためかもしれない。
しかし、答えは簡単に見つからなかった。
(つづく)
僕の高校時代。 [最近、考えたこと]
僕が通っていた高校は、大阪の進学校。
ほとんどの生徒が、そこそこの大学に行く。
生徒たちは、テストの点に一喜一憂し、
教師たちはいかに、いい大学に行かせるか?ばかり考えいた。
成績=人格のような風潮があり、大学がステイタス。
成績が悪いものは人間失格。理不尽なことをする教師も少なからずいた。
当時、16歳だった僕。
「何か違う・・」
と思い始めた。だが、2年のときの担任は言う
「勉強するのは自分のため」「自分を鍛えるために勉強するんだ」
そうだろうか? 本当に僕らのためなのだろうか?
日常生活では使わない微分積分や古典を学ぶこと。自分のためなのか?
中学時代と合わせて6年も学ぶのに、
話すことができない英語は意味あるのか?
もっと大切なことがあるんじゃないか?
教師たちももっと、やるべきことがあるんじゃないか?
その後、10年20年と考え続けた疑問である。
(つづく)
「腐ったみかんの方程式」 [最近、考えたこと]
「金八先生」基本的には中学生が抱える問題や悩み
「受験」「いじめ」「ドラッグ」「非行」等を
先生と生徒が向かい合い、話合って、解決して行くもの。
でも、ときどき、「金八先生」という枠を超えたドラマが展開する。
有名なのは、シーズン2の
「腐ったみかんの方程式」「卒業前の校内暴力」
その前後編だ。伝説化しているエピソード。加藤(直江喜一)が素晴らしかった。
テレビドラマを超えたドラマ。声を上げて泣きそうになる。
高校を卒業したばかりだった僕は、特に感じるもの多かった。
(つづく)
「飛び出せ!青春」から「金八先生」へ [最近、考えたこと]
今回の映画。ジャンルでいうと
青春もの。学園もの。をイメージするだろう。
そのジャンル。
僕の世代で言えばテレビドラマの
「飛び出せ!青春」「われら青春」をすぐに思い出す。
当時、子供だった僕らは、そのドラマに感動した。
「がんばろう!」と思った。
でも、今の時代に通用しない。
夕陽に向かって走っても、問題は解決しないのだ。
その後、「学園もの」というジャンルを変えたのが「3年B組金八先生」だ。
「学園もの」ではなく「教師もの」というジャンルを打ち立てた。
このシリーズが始まったのは、僕が高校3年生のとき。
その後、20年に渡り何本も作られているが、全部見ている。
今回、出演してくれている草刈麻有も、出演していた。
この「金八先生」。
ときどき、「学園もの」や「教師もの」を超えた展開をした。
(つづく)
僕が目指したもの? [最近、考えたこと]
で、自身を振り返ってみた。
今回の「書道♡ガールズ」の場合
さまざまな町で取材し、実際の話を取り入れ
また、以前に出会った夢破れた女の子たちをモデルとして
物語を作った。
でも、「スイングガールズ」の書道版という意識はない。
書道を題材にはしているが、テーマは
前作「ストロベリーフィールズ」の延長線にある。
友達の絆、親子の絆を描いた物語。
ただ、物語の器が何なのか? これは僕自身でも明確ではなかった。
「レイダース/失われた棺」がスピルバーグ版「007」であり
「アバター」はキャメロン版の「アラビアのロレンス」
或いは「ダンス・ウイズ・ウルブス」
では、「書道♡ガールズ」は何だろう? と考えた。
(つづく)
「大人の脳」は、新しい時代に対応できるのか?(23ー終) [最近、考えたこと]
「大人の脳」では、もう新しい時代には対応できないのか?」
だが、ここまで考えて来て、ヒントを見つけた。人は無意識に「10代の記憶」の引き出しを開けてしまう。そこで比較して把握。判断する。でも、意識すれば他の「引き出し」も開けることも、できるのではないか?
知識がない訳ではない。
難病映画がこの20年以上ないことは、記憶を探ればすぐに分かったことだ。友人たちも「また、コンピューターが悪役」と判断する前に、記憶を辿れば、その手の作品が何十年もなかったことに気づく。
「知識」や「情報」を持たなかったのではない。あるのに、それを駆使しないことで間違った判断をしたのだ。
僕の助監督時代、チーフに言われた台詞・・。
20年前のことなのに・・「つい、この間じゃないか!と言われた。そう感じるのが大人の脳。
だから、無意識に「ついこの間」である「2~30年前」の「引き出し」を開けてしまう。そして「最近の知識」を駆使して判断したと思い込む。
それを意識して、本当に新しい情報の「引き出し」を開け、把握。判断すれば、正確な状況が分かるのではないか? そうすれば大人の脳でも、現代を把握。正しい判断を下せるのではないか?
また、考える!
(ひとまず、了)
「大人の脳」は、新しい時代に対応できるのか?(22) [最近、考えたこと]
先の50代のプロデュサーも、「物は大切にする」という、
「昭和の精神」を守っていた・・。
だから、古いビデオカメラも大切に使う。悪気はない。でも、仕事が来なくなった。
先に上げた編集マン。テープ=>テープのリニア編集を続けていた。新しいノンリニア編集なんてバカに見える。
効率もスピードも遥かに上なのに、受け入れられない。やがて、仕事をなくした・・。或る意味では、哀れな人たち。しかし、
時代の風。見つめようとはしなかった・・。
昔ながらのことを続けるだけ。過去の実績と経験の上にあぐらをかき、努力をやめてしまった人たちだ。時代に取り残されるのも当然。
人ごとではない。僕もパソコン台頭の時期にワープロを使い続けていた。「世界の中心で、愛を叫ぶ」を見て「また難病ものか!」と思った。
好き嫌いではない。そこで「でも、今の若い人には新鮮かも!」と思わなかったことが問題なのだ。
「過去の記憶」に呪縛されているといえる。
では、どうすれば、激動の21世紀を生き抜くことができるのか? そして自分自身を見つめれば、そんな時代に作るべき映画とは、どういう作品なのか?
(つづく)