映画は民主主義では出来ない?(5) [ポストプロダクション2]
では、なぜ、映画は民主主義で作られないか?
これは以前に書いた。
音楽業界。昔はレコード会社のスタッフが会議。歌手**の次回の歌を企画する。
皆で決めたものを「**なイメージでこんな歌をお願いします」と
作詞家の先生、作曲家の先生に依頼。
曲を作ってもらう。
それをバンドが演奏して、その前で歌手が歌う。
が、近年。その方法論で作った歌が売れなくなったのだ。
ヒットするのはアーティストが自分で作詞作曲、演奏して、自身で歌うもの。
つまり、作品というのは・・
いろんな人が間に入ることで「思い」が薄くなり、感動が伝わらなくなるのだ。
多くの人の「意見」や「趣味」が入ってくることで個性が弱まる。
でも、歌を作った本人が演奏し、歌を歌うことで、「思い」がダイレクトに伝わり
観客に感動が届く。
だから、バンド・スタイルのアーティストの歌が売れる。
映画作りも同じなのだ。
(つづく)
2010-07-18 22:00
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映画は民主主義では出来ない?(4) [ポストプロダクション2]
もし、映画作りが民主主義なら、ある意味で気が楽だ。
出来上がった映画が詰まらなかった。評判が悪かったとしても、
「**さんの意見を尊重して物語を直したから駄目になった」
「プロデュサーのアドバイスを聞いて編集したので、うまく行かなかった」
「多数決で決めた方向で撮影をしたから、失敗した。僕は本当は反対だった」
「みんなで決めたことだ。誰に責任がある訳ではない。仕方ないだろう?」
とか言い訳が出来る。責任逃れも出来る。
でも、それでは意味がない。
いい映画もできない。
監督が信じる「思い」を貫いてこそ、素晴らしい作品になるのだ。
もちろん、誰かの意見やアドバイスを聞くことは自由だが、
それを採用するか?どうか?は自身の判断。
誰が反対しても、自分が「これでいい!」と思えば、
それを押し進めるのが監督という仕事。
重い重い責任があるのだ。
それが映画作りなのである。
(つづく)
2010-07-18 21:00
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映画は民主主義では出来ない?(3) [ポストプロダクション2]
映画というのは全てについて、監督が決断せねばならない。
ということは、
物語が面白くなかったら、感動できなかったら、
ドキドキできなかったら、泣けなかったら、
俳優が下手なら、カメラが下手なら、
音楽が良くなかったら
それは全て監督の「責任」なのである。
それが映画だ。
監督はシナリオ。キャスティング、スタッフィング、ロケハン。編集まで
全てを決定し、責任を持たねばならない。
(つづく)
2010-07-18 20:18
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映画は民主主義では出来ない?(2) [ポストプロダクション2]
映画というのは不思議なもので、
多くの人の意見を取りまとめて作品にすると、いいものができない。
他の芸術分野と同じように
ある強烈な「個性」と「思い」を持ったアーティストが
全てに対して決断することで、素晴らしい作品ができることが多い。
黒澤明しかり、
大林宣彦しかり、
スタンリー・キューブリックしかり
アルフレッド・ヒッチコックしかり。
天皇と呼ばれたり、独裁者のようなエピソードを持つ人ばかり
だから、芸術家であり、巨匠なのかもしれない。
その意味で映画は民主主義ではなく、独裁政治なのだろう。
でも、裏を返せば大変なことであるも分かる
(つづく)
2010-07-18 15:00
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映画は民主主義では出来ない?(1) [ポストプロダクション2]
映画というのは、見る人によって違う印象を持つ。
「このシーン長いんじゃないの?」
という言う人。
「いやいや、このシーンはもっと見たい。短すぎ!」
という人も必ずいる。
でも、不思議なことに「長い」と思う人は、こういう。
「誰が見ても、長いと思うよ! 長いに決まってるだろう!」
誰にも聞いてないのに、全ての人が「長い!」と思っている。と思い込むことが多い。
「このシーン。もっと見たい!」という人は
「えー? このシーンが長い!なんていう人がいるの? 嘘だろう? バカじゃない?」
と言うことが多い。
興味深いのは、両者ともに自分の意見が絶対にだと思い込み、
強行に自説を主張すること。
一般の人だけではない。プロの間、スタッフ間でも、同じ。編集されたものを見ると
「長い!」「いや、もっと見たい」「このままでいい!」
という様々な意見が出る。
と言って、それら意見の中間を取ると、素晴らしい映画はできない。
映画というのは不思議なもので、多くの人の意見を取りまとめて作品にすると
いいものができないのだ。
(つづく)
2010-07-18 14:00
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MA作業! [ポストプロダクション2]
午後にスタジオ入り。
音楽家さんに作ってもらった曲を微調整しながら、
映像と合わせて行く。
1秒2秒に、こんなうるさい監督も少ないと思うが
これで映画が感動的に終わるか?
何てことなく終わるかが決まる。
でも、音楽家さんはもの凄くセンスがあるので、僕の思いを伝えると
見事にそれを再現してくれる。
格闘すること数時間。
そのシーンが完成する!
(つづく)
2010-07-18 10:05
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「ローマの休日」のうまさ! [ポストプロダクション2]
「ローマの休日」エンディングが素晴らしい。
王女(オードリーヘップバーン)と記者との会見シーン
一切曲を使わずに見せる。
その後、記者のグレゴリー・ペックが1人会場を出て行く。
そこで聞こえるのは彼の足音だけ。
建物の中に響く。むなしさと寂しさを表現。
ペックは最後に一度、立ち止まり、そのまま、フレームアウトして音楽!
「THE END」
という演出が素晴らしかった!
さて、こちらの映画だ。
(つづく)
2010-07-18 03:00
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他の映画でいうと? [ポストプロダクション2]
今回、問題となっている最後のシーン。
他の映画のエンディングでいうと、意味として近いのは
「スターウォーズ エピソード4」の授与式のシーン。
「ローマの休日」の王女の記者会見のシーン。
「ロッキー」の試合後のシーン
「スターウォーズ エピソード6」のイウォーク族の祭シーン。
という感じか?
「青春映画」なのに何でそんな映画?と思うだろうが、
そういうシーンなのだ。
だから、音楽の付け方。とてもむずかしい。
(つづく)
2010-07-18 00:00
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MA再開! [ポストプロダクション2]
さまざまな名作映画。そのエンディングを思い出しながら
2日目のMAに挑む。
映像は既に出来ている。あとは、音楽の付け方だ。
この付け方が大事。
それで完全な駄作になったり、感動のラストになったりする。
心に染みる名曲を流せばいい、ということでもない。
その曲をどのカットから、どのレベルの音量で、どこまで流すか?
どこで止めて、どこで再開するか?
クレジット前で曲が終わるのか?(「ロッキー」のパターン)
クレジットを超えて曲が続くのか? (「コクーン」のパターン)
いろんなやり方がある。
それを決めるのも監督の仕事。演出である。
1秒早く曲を出すだけで、全部が壊れることもある。
神経を研ぎ澄まして、作業にかかる。
(つづく)
2010-07-17 18:00
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「冒険者たち」のエンディング [ポストプロダクション2]
フランス映画「冒険者たち」
このエンディングも、本当に素晴らしい!
でも、この映画。衛星放送でもDVDでも、本来のエンディングは見られない。
本当は主人公の1人。アランドロンの歌で終わるのだが
版権の関係なのか? 現在、見られるものは歌なしの音楽だけ
そのために、感動のラストがぶち壊し。
あの歌があるから、全てが完結するのだ。
友人を全て失った主人公のリノ・バンチェラが最後の最後に嘘を付く。
それを死に逝く友人が「********」という。
悲しみに暮れるバンチェラ。
波の音がこだまする。カメラは空撮に変わり、要塞島から離れて行く。
そこに明るくも寂しげな口笛のメロディ。
歌うはアランドロン。
もう、言葉では表現できない。唸るばかりのエンディングである。
僕が最も好きな映画の1本だ。
(つづく)
2010-07-17 16:00
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