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映画は民主主義では出来ない?(5) [ポストプロダクション2]

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 では、なぜ、映画は民主主義で作られないか?

 これは以前に書いた。

 音楽業界。昔はレコード会社のスタッフが会議。歌手**の次回の歌を企画する。

 皆で決めたものを「**なイメージでこんな歌をお願いします」と

 作詞家の先生、作曲家の先生に依頼。

 曲を作ってもらう。

 それをバンドが演奏して、その前で歌手が歌う。

 が、近年。その方法論で作った歌が売れなくなったのだ。

 ヒットするのはアーティストが自分で作詞作曲、演奏して、自身で歌うもの。
 
 つまり、作品というのは・・

 いろんな人が間に入ることで「思い」が薄くなり、感動が伝わらなくなるのだ。

 多くの人の「意見」や「趣味」が入ってくることで個性が弱まる。

 でも、歌を作った本人が演奏し、歌を歌うことで、「思い」がダイレクトに伝わり

 観客に感動が届く。

 だから、バンド・スタイルのアーティストの歌が売れる。
 
 映画作りも同じなのだ。

 (つづく)



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映画は民主主義では出来ない?(4) [ポストプロダクション2]

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 もし、映画作りが民主主義なら、ある意味で気が楽だ。

 出来上がった映画が詰まらなかった。評判が悪かったとしても、

 「**さんの意見を尊重して物語を直したから駄目になった」

 「プロデュサーのアドバイスを聞いて編集したので、うまく行かなかった」

 「多数決で決めた方向で撮影をしたから、失敗した。僕は本当は反対だった」

 「みんなで決めたことだ。誰に責任がある訳ではない。仕方ないだろう?」

 とか言い訳が出来る。責任逃れも出来る。

 でも、それでは意味がない。

 いい映画もできない。

 監督が信じる「思い」を貫いてこそ、素晴らしい作品になるのだ。

 もちろん、誰かの意見やアドバイスを聞くことは自由だが、

 それを採用するか?どうか?は自身の判断。

 誰が反対しても、自分が「これでいい!」と思えば、

 それを押し進めるのが監督という仕事。

 重い重い責任があるのだ。

 それが映画作りなのである。

 (つづく)

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映画は民主主義では出来ない?(3) [ポストプロダクション2]

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  映画というのは全てについて、監督が決断せねばならない。

 ということは、

 物語が面白くなかったら、感動できなかったら、

 ドキドキできなかったら、泣けなかったら、

 俳優が下手なら、カメラが下手なら、

 音楽が良くなかったら

 それは全て監督の「責任」なのである。  

 それが映画だ。

 監督はシナリオ。キャスティング、スタッフィング、ロケハン。編集まで

 全てを決定し、責任を持たねばならない。

 
 (つづく)

 
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映画は民主主義では出来ない?(2) [ポストプロダクション2]

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 映画というのは不思議なもので、

 多くの人の意見を取りまとめて作品にすると、いいものができない。

 他の芸術分野と同じように

 ある強烈な「個性」と「思い」を持ったアーティストが

 全てに対して決断することで、素晴らしい作品ができることが多い。

 黒澤明しかり、

 大林宣彦しかり、

 スタンリー・キューブリックしかり

 アルフレッド・ヒッチコックしかり。

 天皇と呼ばれたり、独裁者のようなエピソードを持つ人ばかり

 だから、芸術家であり、巨匠なのかもしれない。

 その意味で映画は民主主義ではなく、独裁政治なのだろう。

 でも、裏を返せば大変なことであるも分かる

(つづく)


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映画は民主主義では出来ない?(1) [ポストプロダクション2]

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 映画というのは、見る人によって違う印象を持つ。

 「このシーン長いんじゃないの?」

 という言う人。

 「いやいや、このシーンはもっと見たい。短すぎ!」

 という人も必ずいる。

 でも、不思議なことに「長い」と思う人は、こういう。

 「誰が見ても、長いと思うよ! 長いに決まってるだろう!」

 誰にも聞いてないのに、全ての人が「長い!」と思っている。と思い込むことが多い。

 「このシーン。もっと見たい!」という人は

 「えー? このシーンが長い!なんていう人がいるの? 嘘だろう? バカじゃない?」

 と言うことが多い。

 興味深いのは、両者ともに自分の意見が絶対にだと思い込み、

 強行に自説を主張すること。

 一般の人だけではない。プロの間、スタッフ間でも、同じ。編集されたものを見ると

 「長い!」「いや、もっと見たい」「このままでいい!」

 という様々な意見が出る。

 と言って、それら意見の中間を取ると、素晴らしい映画はできない。

 映画というのは不思議なもので、多くの人の意見を取りまとめて作品にすると

 いいものができないのだ。

 (つづく)


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MA作業! [ポストプロダクション2]

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 午後にスタジオ入り。

 音楽家さんに作ってもらった曲を微調整しながら、

 映像と合わせて行く。

 1秒2秒に、こんなうるさい監督も少ないと思うが

 これで映画が感動的に終わるか? 

 何てことなく終わるかが決まる。

 でも、音楽家さんはもの凄くセンスがあるので、僕の思いを伝えると

 見事にそれを再現してくれる。

 格闘すること数時間。

 そのシーンが完成する!

 (つづく)



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「ローマの休日」のうまさ! [ポストプロダクション2]

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 「ローマの休日」エンディングが素晴らしい。

 王女(オードリーヘップバーン)と記者との会見シーン

 一切曲を使わずに見せる。

 その後、記者のグレゴリー・ペックが1人会場を出て行く。

 そこで聞こえるのは彼の足音だけ。

 建物の中に響く。むなしさと寂しさを表現。

 ペックは最後に一度、立ち止まり、そのまま、フレームアウトして音楽!

 「THE END」

 という演出が素晴らしかった!

 さて、こちらの映画だ。

 
 (つづく)


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他の映画でいうと? [ポストプロダクション2]

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 今回、問題となっている最後のシーン。

 他の映画のエンディングでいうと、意味として近いのは

 「スターウォーズ エピソード4」の授与式のシーン。

 「ローマの休日」の王女の記者会見のシーン。

 「ロッキー」の試合後のシーン

 「スターウォーズ エピソード6」のイウォーク族の祭シーン。

 という感じか?

 「青春映画」なのに何でそんな映画?と思うだろうが、

 そういうシーンなのだ。

 だから、音楽の付け方。とてもむずかしい。

 
 (つづく)




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MA再開! [ポストプロダクション2]

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 さまざまな名作映画。そのエンディングを思い出しながら

 2日目のMAに挑む。

 映像は既に出来ている。あとは、音楽の付け方だ。

 この付け方が大事。

 それで完全な駄作になったり、感動のラストになったりする。

 心に染みる名曲を流せばいい、ということでもない。

 その曲をどのカットから、どのレベルの音量で、どこまで流すか?

 どこで止めて、どこで再開するか?

 クレジット前で曲が終わるのか?(「ロッキー」のパターン)

 クレジットを超えて曲が続くのか? (「コクーン」のパターン)

 いろんなやり方がある。

 それを決めるのも監督の仕事。演出である。

 1秒早く曲を出すだけで、全部が壊れることもある。

 神経を研ぎ澄まして、作業にかかる。

 (つづく)

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「冒険者たち」のエンディング [ポストプロダクション2]

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 フランス映画「冒険者たち」

 このエンディングも、本当に素晴らしい!

 でも、この映画。衛星放送でもDVDでも、本来のエンディングは見られない。

 本当は主人公の1人。アランドロンの歌で終わるのだが

 版権の関係なのか? 現在、見られるものは歌なしの音楽だけ

 そのために、感動のラストがぶち壊し。

 あの歌があるから、全てが完結するのだ。

 友人を全て失った主人公のリノ・バンチェラが最後の最後に嘘を付く。

 それを死に逝く友人が「********」という。
 
 悲しみに暮れるバンチェラ。

 波の音がこだまする。カメラは空撮に変わり、要塞島から離れて行く。

 そこに明るくも寂しげな口笛のメロディ。

 歌うはアランドロン。

 もう、言葉では表現できない。唸るばかりのエンディングである。

 僕が最も好きな映画の1本だ。

 (つづく)










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