映画は民主主義では出来ない?(4) [ポストプロダクション2]
もし、映画作りが民主主義なら、ある意味で気が楽だ。
出来上がった映画が詰まらなかった。評判が悪かったとしても、
「**さんの意見を尊重して物語を直したから駄目になった」
「プロデュサーのアドバイスを聞いて編集したので、うまく行かなかった」
「多数決で決めた方向で撮影をしたから、失敗した。僕は本当は反対だった」
「みんなで決めたことだ。誰に責任がある訳ではない。仕方ないだろう?」
とか言い訳が出来る。責任逃れも出来る。
でも、それでは意味がない。
いい映画もできない。
監督が信じる「思い」を貫いてこそ、素晴らしい作品になるのだ。
もちろん、誰かの意見やアドバイスを聞くことは自由だが、
それを採用するか?どうか?は自身の判断。
誰が反対しても、自分が「これでいい!」と思えば、
それを押し進めるのが監督という仕事。
重い重い責任があるのだ。
それが映画作りなのである。
(つづく)