「青い青い空」完成!(1) [ポストプロダクション2]
こうして、映画「青い青い空」は完成した。
企画をスタートは「書道♡ガールズ」というタイトルで、2007年のことだ。
それから3年。今年で4年目。
もの凄い時間がかかった。
その間に様々なことがあった。
悲しいこと。辛いこと。許せないこと。
感謝したこと。助けられたこと。嬉しかったこと。
何度も何度も、悔し涙を流した
同時に、嬉しくて、涙を流した。
でも、その映画がとうとう完成した・・。
(つづく)
クレジット&タイトル入れ(3) [ポストプロダクション2]
今回の「青い青い空」のクレジットの出方も
センスあるものにしたかった。
その辺にこだわりのない監督もいて
「単純にローリングで上がってくるだけでいいよ」
という人もよくいるが、そこも演出。こだわらねば。
結果は見てのお楽しみだが、
いい感じのものが出来た
まだ、協賛をしてくれた方。企業の名前を入れねばならない。
まだまだ、製作費は足りないので、浜松では協賛集めを
続けてくれている。
8月末の締め切りなので、そのあと最終的にクレジットに入れる。
が、映画本編はこれで完成だ。
(つづく)
クレジット&タイトル入れ(2)SWとダークナイト [ポストプロダクション2]
「スターウォーズ」のクレジットの出方
とても印象的だ。
「エピソード4」で言えば、出演者が壇上に並んでいるところで
チューバッカが声を上げて、音楽が盛り上がり
ジャン!
と来たところで、宇宙空間に
written & directed by Gerge Lucus
それがカッコよかった。
「ダークナイト」は
夜の町をオートバイで走るバットマン。
そこでブラックアウトして、一瞬、黒みが入り音楽が止まり
The Dark Knight
と、そこで初めてタイトルが出て、音楽が再開。
これも本当にカッコよかった。
それでいて、バットマンが全く報われぬ悲しみと憤りを感じながら
涙が零れるエンディングだった。
(つづく)
クレジット&タイトル入れ(1) [ポストプロダクション2]
MA終了の翌日。
タイトルとクレジット入れ作業をする。
(本来はタイトルとクレジットを入れてから、MAを行うのだが・・)
タイトルの出方。出る位置。表示される秒数も
全て映画内の演出。
監督が決めねばならない。
さらにエンディングクレジット。
これも演出のひとつ。
どんなに映画が感動的に終わっても、クレジットの出方で
全て台無しということもありえるのだ。
まだまだ、安心はできない。
(つづく)
5時に目が覚める? [ポストプロダクション2]
自宅で朝からデスクワーク。
目が覚めた瞬間からパソコンに向かい、午後3時になる
「早い時間だけど、限界。少し休もう・・」
ベッドに横になる。と同時に、睡魔が襲う。
目が覚めると、外はまだ明るい。
時計を見ると「5時」。よし、2時間で目が覚めた!
仕事の続きをやるぞ! とパソコンに向かう。
だが、6時になっても、7時になっても、外が暗くならない。
「日が長くなったなあ・・」
と思って気づいた。起きたのは午後5時ではなく、午前5時だったのだ!
つまり、午後3時に寝て、起きたのが午前5時。
14時間も寝てしまった!その間、一度も目が覚めず!
やはり、疲労がピークに来ているのか?
ヤバい。ヤバい!
(つづく)
3週間分の時限爆弾 [ポストプロダクション2]
編集時に過労で倒れ、1週間寝たきりになった。
前にも書いたが、その場合。通常は4週間寝込む。
それを気力で1週間で復活した。
ここ10年の経験からいうと、 現在は気力でもっているだけ。
あと3週間分をどこかで休まないと、完治はしない。
ただ、過労といっても「風邪ひいたの?」としか思われないことが多い。
過労の大変さは説明するのもむずかしい。
だから、説明はしないが、
いずれにしても、今、倒れると多くの人に迷惑がかかる。
映画完成したら、すぐに宣伝活動に入らねばならないし
どこかで休まないと、危ない・・・。
(つづく)
映画は民主主義では出来ない?(8ー終)MA [ポストプロダクション2]
さて、話はMAに戻る。
完成した映画を見ると、当然のように音楽と音が入っている。
が、それぞれをどこに入れるか?
それを決めるのも監督の仕事だ。
でも、もし、いろんな人が意見をいうと
「ここ音楽はいらないんじゃない?」
「この音楽違うんじゃない?」
「ここは盛り上げないと!」
「いや、ここは音楽なしで行くべきでしょう?」
となる。
編集以上に音楽は「感性」と「センス」の世界。
議論して、答えが出るものではない。
結局、監督の感性に委ねられる。
音楽や音の付け方も、全て監督が決める。
そのせいで映画が詰まらなくなれば、それは監督の責任。
でも、それが監督という仕事。
そして、素晴らしい作品ができるのは、最初の「思い」を最後まで歪めずに貫徹すること。
今回はこのMAでそれが完結するはずだ。
(つづく)
映画は民主主義では出来ない?(7)大作映画が詰まらない理由 [ポストプロダクション2]
企業の提案。
製作会社のプロデュサー。それらを取りいれ調整し、映画作りをする。
提案を飲まないと「だったら、降りる」と言われる。
それぞれの企業を、立てねばならない。だが・・。
ここでPは大切なことを忘れてしまう。
企業のための映画作りになり、観客のための映画ではなくなる。
観客が映画をどう感じるか? より、企業から文句が来ないようにする。
それで、いいものが出来る訳がない。
「この原作の主人公は、この女優ではないだろう?」
と思っても、「**会社の社長がファンだから」とかいう理由で起用してしまう。
皆の意見を取り入れて考える。
結果、それぞれの企業が立ち文句の出ない「まあ、これならいいだろう」
というシナリオが出来上がり。
企業の都合が優先のキャスティング。
面白くなる訳がない。
大作映画に無難なものが多いのは、そのせい。
何だか日本の民主主義のようだが、それでは素晴らしい映画はできない。
(つづく)
映画は民主主義では出来ない?(6) [ポストプロダクション2]
歌も映画も同じ。
政治なら民主主義は有効だが、芸術はなかなかそうはいかない。
いろんな人の「意見」「趣味」「センス」「方向性」を取り入れて行くと
関係者から文句が出にくくなるが、
結果、無難な物語になり、無難な映画になって、感動や興奮が生まれない。
いい例が大きな企業が何社も参加した大作映画。
あまり面白いものがないのは、それが理由だ。
それぞれの企業がいろんなことを主張し、作品を駄目にしていく。
「アメリカ映画の***のようなイメージで行きたい」
「ロケ場所はウチの社がある**市にしてほしい」
「主演は若者に人気の***にしてほしい」
「ヒロインはウチのCMに出ている***を使ってほしい」
「主題歌は当社専属の****を起用してほしい」
それぞれの企業がいろんなことを主張、要求してくる。
(つづく)