ロックコンサートのような映画? [LAの映画祭参加]
「青い青い空」
留学当時から考えていたチャレンジをしている。
先に紹介したロックコンサートの数々。
ローリング・ストーンズでも、スプリングスティーンでも、
マイケル・ジャクソンでも、The Whoでも
凄いパワーで、血が逆流する体験をする。
それを映画で再現できないか?ということ。
音楽映画を作ると言うのではない。
例えば、ストーンズ。
クライマックスは「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」で
「ブラウン・シュガー」で、「サティスファクション」
ああ〜終わった・・と思ったところで、アンコール
さらに「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」
映画でいうクライマックスが延々と続くようだ。
通常の映画ではクライマックスは1回。
最後の対決があって、終わる。
その盛り上がるクライマックス。何回もあるような構成はできないのか?
ストーンズやスプリングスティーンのような
大盛り上がるする歌が何曲も続く、ライブのような乗りを
映画に持ち込めないのか?
そして、映画自体を音楽的なコンサート的な表現をすること
できないだろうか?
それによって、これもまたインタナショナルな表現ができるのではないか?
かなり専門的で分かりにくと思うが、
長年考えたそれを実践したのも、「青い青い空」なのである。
それを感じてくれた人。
1人だけいた。
(つづく)
真子、みさと、三美子のイラスト! [LAの映画祭参加]
映画祭スタッフの方
こんなイラストも筆で描いてくれた。
ちゃんと、真子、みさと、三美子が
描き分けられている。
見事です!
(つづく)
スピーチは英語? [LAの映画祭参加]
スチールを貼付けたあと、スタッフの方と打ち合わせ。
「この映画祭も、やはり監督が来場すると
皆喜んでくれるんですよ」
そう言ってもらえると、やはり嬉しい。
「で、太田監督。スピーチは日本語でしますか? 英語でしますか?」
「観客は日本人が多いんですか?」
「はい。でも、日系人の方も多いし、日本語ができない方も大勢来ます」
「じゃあ、英語でスピーチします」
「その方が皆、ダイレクトに伝わって喜んでもらえると思いますよ!」
と簡単に言ってしまったが、
大丈夫だろうか?
先の前夜祭のときは、ど忘れして「温故知新」を英語で言えなかった。
でも、不思議なもので、昨日、USCのキャンパスを歩いていて
何だか20年前に戻った気がする。
何とか英語で行ってみよう!
「伝えたい気持ち」ダイレクトに伝えねば!
(つづく)
「青い青い空」スチール写真展 in LA [LAの映画祭参加]
前の映画の上映が始まり、入り口付近も落ち着く。
なかなかの人気作で、場内は満員らしい。
「青い青い空」上映まであと2時間ほど。
会場内の壁を見つめていて気づく。
「ストロベリーフィールズ」の凱旋上映のときのようなこと
できないか?
スタッフさんに訊いた。
「壁にスチール写真貼ってもいいですか?」
関係者に見せるように、映画のスチールを持って来ていた。
それを壁に貼り出せば、前の回が終わって出て来るときに
お客が見てくれる。
興味を持てば「青い青い空」も見てくれるかも?
「いいですよ! じゃあ、一緒に貼りましょう!」
こうして、僕と、fumiさん。
スタッフの方3人でスチールを貼り出す。
上映は2階のホール。
そこへ上がる階段の壁に貼って行く。
もう一人のスタッフさん。
武田早雲さんのお友達で書道をやっているという。
告知を筆で書いてくれた。
そして、僕の似顔絵も!
それらも貼り出す。
さらに受付には雑誌に載った僕のインタビュー。
劇中で八代先生(波岡一喜)が食べているお菓子。
成田まで送ってくれた、おおかみさんからのプレゼント。
それも飾る。
そして、これも劇中で使われたコロッケも!
あと、日本の新聞記事のコピー。
拡大コピーして貼り出す。
皆、「文化祭みたい!楽しい」と手伝ってくれた。
「青い青い空」を見に来てくれた人たちも
より興味を持ってくれるはずだ。
(つづく)
上映前に想ったこと(5ー終)20年間 [LAの映画祭参加]
LAで気づいたこと。
考え続けた。
帰国してある時期。毎月、歌舞伎を見た。
自分にしかできないスペシャルを探す。
独自のスタイル、模索した。
監督業を始め、次第に自分のスタイルを確立していく。
日本の地方を舞台にした、少女たちの成長物語。
「友情」を描いたストーリー。
「親子の絆」を描いた物語。
スタイルはアメリカ映画。ハリウッド的な表現法。
そして、今回は日本の文化「書道」を題材にした。
LA時代から思い悩んだ自分らしさ、形として結集した。
それが「青い青い空」という映画。
アメリカ人も理解できるように作ってある。
それでいて、日本文化を紹介するだけに終わらず
人の絆と、感動を伝えられるように作った映画だ。
6年のアメリカ生活なしに、作り得ない作品。
その「青い青い空」が本日。
僕のスタート地点ともいえるLAで上映される。
それも会場の名前は「イースト・ウエスト・プレイヤーズ」だ。
果たしてLAの観客。
どのような反応を見せるのだろうか?
間もなく上映だ!
(つづく)
上映を前にして想ったこと(4)日本の文化 [LAの映画祭参加]
僕の場合はどうか?
アメリカ映画が好きで、ロックが好きで、SFドラマが好きで
でも、それだけならアメリカ人と同じだ。
けど、僕はアメリカ人ではない。アメリカ人にはなれない。
英語だってネイティブには話せない・・。
では、日本人か? 日本人たる何を持っているのか?
・・・・何もない・・。僕は誰? Who are you?
Who am I ?
やがて、LA生活でいろんなことに気づいて行く。
日本の「映画」や「歌」は駄目だが、伝統文化が世界に通用すること。
歌舞伎、能、狂言。美術。茶道。花道。
アメリカ人はとても興味を持つ。
彼らの文化にはないものだからだ。スペシャルがある。
そして黒澤明、伊丹十三作品も世界に通用する。
考えると、日本は(今も)アメリカの後追いをするばかり
日本に存在する大切なものを疎かにしていた。
僕自身がまさにその1人だったが・・。
日本にある素晴らしいものを、アメリカで生活して気づいたのである。
これはスペシャルだ。
なぜ、リトル東京のレストランでは
寿司、天ぷら、刺身、テリヤキチキンが人気あるのか?
アメリカにない料理だからだ。
他の国の料理を真似たものではない、オリジナリティのあるものだから。
映画も同じ。アメリカ人には作り得ない映画を作れば通用する。
いや、その種のものを作らねば、アメリカには通用しないのだ。
(つづく)
上映を前にして想ったこと(3)ジャッキー・チェン [LAの映画祭参加]
若き日のジャッキー・チェン。
同じ悩みを持っていた。
彼はブルースリーを尊敬し、目指した。
最初は模倣からスタート。
だが、全然人気がでない。
クンフーができる俳優というだけでは、山ほどいたし
ブルースリーを真似る相優、腐るほどいた。
ジャッキーはその内に気づく。
「俺はブルースリーとは違う。いくら彼の真似をしても、彼にはなれない。
では、俺の俺らしさとは何だ? 成龍らしさとは何だ?」
やがて、ジャッキーは気づく。
ブルースリーは超真剣。ストイック。2枚目キャラ。
でも、自分は違う。笑いだ。三枚目だ。
それが自分らしさ。ジャッキーチェンではないか?
その後、主演したのが「酔拳」である。
それから人気が爆発。やがて、ハリウッド進出まで果たすのだ。
あの笑いとアクションの融合。
ジャッキーチェンにしかできない。ブルースリーとは明らかに違う。
アメリカ人俳優も、日本人俳優にも真似ができない。
そして、ジェッキーチェンは世界を制覇した。
映画監督も同じなのだ。
(つづく)
上映を前にして想ったこと(2)スペシャル [LAの映画祭参加]
留学前から、僕はアメリカに関して詳しかった。
映画を通じて、文化や歴史。習慣や発想を学んでいる。
音楽も、芸能も、テレビ番組も、アメリカ人並み?
英語は話せないのに、ビートルズの歌は歌える!
英語コースの先生から言われた
「You so American boy !」
だが、やがて気づく。
アメリカにいる映画ファンやロックおたく。
映画監督志望の青年たちと、僕は同じなのだ。
監督になるには、彼らになく。僕しか持ってない何かがないと駄目。
つまり、監督というのは、
その人にしか撮れない映画を作らねば意味がないのだ。
黒澤明が監督すればクロサワ的。
スピルバーグが撮ればスピルバーグ。
誰にも真似できない面白さがある。
皆、自分なりのスペシャルをもっていた。
ミュージシャンで言えば分かりやすい。人と同じでは認められないのだ。
マイケル・ジャクソンは世界にただ1人。
彼の歌も、踊りも、魅力的だ。
ブルース・スプリングスティーンの世界観、彼独自のもの
皆、独特の世界を持ち、哲学があり、スタイルがある。
誰とも似ておらず、心に響く作品を作り出す。
皆、個性があり、スタイルがある。
誰も持ち得ないスペシャルがある。
映画監督も同じなのだ。
他の人が監督しても同じ作品を作るのであれば、その監督は必要とされない。
それを僕は何も持っていなかった・・・。
(つづく)
上映を前にして想ったこと(1) [LAの映画祭参加]
リトル東京にあるイースト・ウエスト・プレイヤーズ
その建物の向こうには LAの市庁舎・シティホールが見える。
オリジナル版の「宇宙戦争」で破壊される象徴的な建物。
その前にはロスアンゼルス・タイムスの本社がある。
ジャパン・フィルム・フェスティバル・LAの会場はそれらに隣接。
何度もいうが、会場は映画「プリンス・オブ・ダークネス」のロケ地。
その建物を見上げて思い出すのは、大阪の高校時代のこと。
アメリカ映画を見るたびに「日本映画では勝てない・・」
と痛感した。
同じく高校時代。ローリング・ストーンズやレッドツェッペリン等を聴いて
「日本の歌謡曲では勝てない・・」
当時の日本映画や歌謡曲というのは、本当に酷いものだった。
「アメリカに行って勉強しよう! 日本で学んでも観客を感動させる映画は作れない。
パワーのある作品はできない」
その頃から留学を考えていた。
そして、少々遅れて23歳のとき、ロスアンゼルスに来た。
英語を含めて6年間。勉強した。
といっても、大学の教室での授業は日本と同じ。
それより映画館や名画座でも見た数々の映画。
それを見るアメリカ人観客の反応が勉強になる。
名画座で見た日本映画。
いかにインターナショナルでないか?教えてくれた。
「言わなくても分かるよね?」
そんな日本的発想に無意識に縛られたもの。
将来、映画を作れるようになったときは、そんな発想を越えねばと思ったもの。
どの映画監督も「日本人だけに見てほしい」と思って作品作りをしていない。
が、インターナショナルな発想を理解しないと結果、
日本人しか見れない作品になるのだ。
そして、もうひとつ。
ミチルではないが、自分が何者であるのか?
LA生活で問われた・・・。
(つづく)
「青い青い空」LA上映、当日。会場に到着。 [LAの映画祭参加]
ジャパン・フィルム・フェスティバル
「青い青い空」上映当日
会場には昼前に到着。
すでに午前中から他の日本映画が上映
盛況のようだ。
多くの人が次の映画のチケットを買ったり、
待ち合わせをしている。
そして、入り口。扉のところには見覚えのあるポスター!
ブラブラしていると、日系人の方の話し声
「青い青い空って映画、いいらしいのよ。
このあとの映画見たあと、見て帰ろうかしら?」
「ぜひ!」
と、すかさず話に割って入り、チラシを差し出す。
そんなことをしていると、スタッフの方が呼びに来た。
(つづく)