上映を前にして想ったこと(1) [LAの映画祭参加]
リトル東京にあるイースト・ウエスト・プレイヤーズ
その建物の向こうには LAの市庁舎・シティホールが見える。
オリジナル版の「宇宙戦争」で破壊される象徴的な建物。
その前にはロスアンゼルス・タイムスの本社がある。
ジャパン・フィルム・フェスティバル・LAの会場はそれらに隣接。
何度もいうが、会場は映画「プリンス・オブ・ダークネス」のロケ地。
その建物を見上げて思い出すのは、大阪の高校時代のこと。
アメリカ映画を見るたびに「日本映画では勝てない・・」
と痛感した。
同じく高校時代。ローリング・ストーンズやレッドツェッペリン等を聴いて
「日本の歌謡曲では勝てない・・」
当時の日本映画や歌謡曲というのは、本当に酷いものだった。
「アメリカに行って勉強しよう! 日本で学んでも観客を感動させる映画は作れない。
パワーのある作品はできない」
その頃から留学を考えていた。
そして、少々遅れて23歳のとき、ロスアンゼルスに来た。
英語を含めて6年間。勉強した。
といっても、大学の教室での授業は日本と同じ。
それより映画館や名画座でも見た数々の映画。
それを見るアメリカ人観客の反応が勉強になる。
名画座で見た日本映画。
いかにインターナショナルでないか?教えてくれた。
「言わなくても分かるよね?」
そんな日本的発想に無意識に縛られたもの。
将来、映画を作れるようになったときは、そんな発想を越えねばと思ったもの。
どの映画監督も「日本人だけに見てほしい」と思って作品作りをしていない。
が、インターナショナルな発想を理解しないと結果、
日本人しか見れない作品になるのだ。
そして、もうひとつ。
ミチルではないが、自分が何者であるのか?
LA生活で問われた・・・。
(つづく)