友人の話(3) [想い出]
その話。友人にもした。
「『ストロベリーフィールズ』を作ったとき。これが完成したら死んでもいい。
マキのように死神に連れて行かれてもいい。そう思って作った。
でも、完成したら、悔いが多くて、まだ死ねないと思って、
遺作は次回作にしたんだ。
完成したら今度こそ死ぬかもしれないから
あとを頼むな?」
そういうと友人は笑えないという顔。
「何言ってんですか? 太田さんには次回作だけでなく、
その次も、その次も、作ってもらわなきゃ駄目ですから!」
あとで先輩に聞くと、こういわれた。
「あいつも太田と同じで大変なんだよ。
映画作るために何百万も借金して
それを返すために、撮影中断。金ためてまた撮影。
でも、太田はあいつの前を走っている。
同じスタイルで本当に撮りたい映画を撮り
完成させ、公開し、評価された。
お前の存在が、どれだけあいつを支えているか?
だから、お前も諦めるな!
後ろから着いて来る後輩がいるんだぞ!」
そう言われた。
次回作。必ず形にせねば・・。
その次回作が「青い青い空」
結局、さらに2年かかって4年越しで完成。
浜松で先行公開。大ヒットした。
そのこと。友人に報告せねばならない。
しかし、直接、報告することはもうできなかった。
彼は監督デビュー作が公開された直後に、
この世を去っている。
監督デビュー作が「遺作」となっていた・・。
(つづく)