三美子のルーツもLA?(中編) [2012年]
僕の留学時代。英語が話せないことで、
自分の気持ちが伝えられないことで、
様々な辛い思いをした。
キャンパスを歩きながら、そんなことを思い出していた。
言葉を話せない辛さ・・
三美子もこんな気持ちだったのかな?
あっ・・・そうか・・
そんな経験から三美子の「思い」が生まれて来たのかも?
アメリカで英語を話せないということは
言葉を話せないということ。
気持ちを伝えられない。思いを届けられないということ。
単に買い物に困る。授業についていけないということではなく
嬉しいことも、悲しいことも、驚いたことも、
誰にも伝えられないということ。
生活が大変という以上に、そちらが苦しかった。
人は「喜び」や「悲しみ」を誰かに伝えることで生きている。
嬉しいことは、人に伝え一緒に喜んでもらえることで余計に嬉しい。
悲しいことは、理解する人がいることで、軽減される。
それらを一人で抱えて生活すること。本当に厳しい。
USCの英語コース時代は楽しいクラスが続いたが
その後、別の学校に移ってからは、誰とも話ができない時期があった。
それが何週間も、何ヶ月も続いたことがある・・。
(つづく)
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