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メンドー・クラーク・アパートメント時代 [LAの映画祭参加]

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 ハリウッド帰りに、懐かしの場所を通る。

 1987年1月。念願のUSCの映画科に合格。

 先に紹介したサンタモニカの名画座・ニューアート前

 ピザ屋(今はサブウェイ)で通知を読んだ。

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 留学して2年目のことだ。この期の合格者は3人。

 その1人に選ばれた。奇跡!

 憧れのジョージ・ルーカスが学んだ大学で映画を学ぶ。

 プライベートスクールを辞め、USCに戻る。

 英語力がまだ足りないので、映画の授業と共に英語コースもとる

 その担任があのデビー先生!

 (「青い青い空」のデビー先生のモデル)

 2年振りの再会!

 映画科合格。凄く喜んでくれた。

 その後、引っ越し。

 それがメンドー・クラーク・アパートメント(写真下)

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 今回の旅で、ここにも訪れた。

 アパート名は変っていたが、あとは同じ。

 階段を昇ったところに、玄関がある。

 前のアパートから2ブロックしか変らないが、超豪華。

 なのに値段は、東京の1ルームマンション並み!

 でも、ベッドルーム、リビング、ダイニング、バス、トイレ。

 そしてアパート内にプールとサウナ。パーティが出来るラウンジ。

 コインランドリー。駐車場付き。

 日本なら豪華マンション。でも、これがLAの平均的アパートだ。

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 最初の内は嬉しくて、朝起きたら目覚ましにプールへ!

 みたいな生活をしていたが、

 結局、プールで泳いだのは最初の1週間くらい。

 貧乏性は抜けず、豪華な施設も使い切れない。

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 ここに住む頃には、何年もかけて貯めた資金で車を買った。

 LAでは安い中古車が手に入る。

 コンサートにバンバン行けるようになったのも、この頃からだ。

 英語も、生活も問題がなくなり、日本で暮らすのと大差なくなる。

 でも、そこまで行けたのはLA生活3年目。

 そこまでは、思い出しても、怒りが込み上げることばかり

 無力さを思い知ったこと。何度もあった。

 ようやく、まともな生活ができるようになったのは、

 このアパートに住んでからである。

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 (つづく)


 
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