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時代は変る(1)LAに永住しようか? [epilogue]

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 USC映画科での大学生活。終わりに近づいた頃

 考えた。

 LAの生活は楽しい。 東京より安価で快適な暮らし。

 豪華なアパート。安いレント。

 安い物価。豊富な食べ物。映画や音楽を楽しむ機会も多い。

 ストーンズも、ブルースも毎回見れる。

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 もう、英語で困ることは何もない。

 同時に、日本にいては分からない、日本という国の理不尽さ。

 矛盾した習慣やルール、たくさんあることを痛感していた。

 それに比べるとやはり、アメリカは自由の国だ。

 この街で生きて行くのもいいな・・・そう思えていた。

 あるとき、テレビの日本語放送で広告を見る。

 「局スタッフ募集。経験者優遇」

 日本語番組を放送している局。当時はNHKの大河ドラマ

 「必殺シリーズ」「影の軍団」「オレゴンから愛」「ライスカレー」

 等を放送。あと、局製作の情報番組もあり

 LAに来た日本の芸能人の出るインタビュー番組とか制作もする。

 僕は日本で助監督を少々やっていた。現場スタッフはOK。

 その局に就職すれば、LAに住むことができる。

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 当時、聞いた日系人のおじさんの言葉。

 「日本人なら誰でも、普通に働けばアメリカでは成功する。
 
 それほど日本人はよく働くんだよ。だから、日本人が少しがんばれば

 必ず金持ちになれる。だから、日系人は皆、成功しているだろ?」

 確かに・・そうだ。

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 でも、考えた。

 僕の目標は・・映画監督になり、映画を作ること。

 そのためにUSCの映画科を目指し、そこで勉強した。

 「観客を笑わせ、ハラハラさせ、感動させる映画を作りたい!」

 それが僕の夢であり、目的。

 だから、5年間。がんばった。

 アメリカに住むことが夢ではなかった。

 ただ、当時、間もなく・・・30歳。

 日本での再スタートは簡単ではない。

 帰国すれば監督の仕事が待っている・・ということはない。

 LAで勉強したからと、優遇されることはないだろう。

 また、閉塞的で理不尽な日本映画界で、生きることにもなる。

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 でも、厳しいLAの年月を越えてきたのだ。

 それをもう一度やると思えばいい。

 少なくても日本語はできる・・。

 日本で映画監督になり、

 いつか黒澤明や伊丹十三のように
 
 このLAで上映され、拍手喝采を受ける映画を作ろう。

 そう思って帰国。

 だが、日本で待ち受けていたのは、予想を越える厳しい月日だった・・

 
 (つづく)

 
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