黒澤映画はインタナショナルな視点? [映画]
繰り返し、黒澤映画をLAで見て、気づいた。
黒澤映画と他の日本映画の大きな違い。
それはインターナショナルな視点で描いているか?どうか?だ。
ということなのだ。
例えば、織田信長というと日本人は皆、知っている。
だから、日本のドラマは「信長がどんな人物であるか?」を詳しく描かず、物語を進める。
「日本人なら説明しなくても分かるよね?」
という発想で物語を作る。
「日本史を勉強してるから、誰でも知っているよね?」
という発想なのだ。
その典型が「水戸黄門」。
「黄門様は偉い」だから、印籠を振りかざすと、誰もがひれ伏す。
でも、アメリカ人が見ると、その背景が分からない。
なぜ、印籠を見ただけでひれ伏すのか?
黄門様はどれだけ偉いのか? 偉くても、敵は切り掛かってもいいのではないか?
その辺が全く説明されない。
そんな発想で作られた日本映画。アメリカ人には理解できないのだ。
だが、黒澤明の時代劇は、日本史を知らなくても、
江戸時代の身分制度を知らなくても
日本に対する知識が何もなくても、見られるように出来ている。
見る上で必要なインフォメーションは全て劇中で説明される。
アメリカやヨーローッパの歴史に置き換えて理解できるような
説明になっているのだ。
だから、アメリカ人は黒澤映画を受け入れ、楽しむことができたのだ。
(つづく