友人の話(1) [想い出]
「青い青い空」の3ヶ月を超えるロングラン。
観客動員2万人。
その大ヒットを報告したい若い友人がいる。
脚本家の先輩が主催の飲み会で知り合った。
「こいつは太田の映画、絶対に好きになるよ!
太田も『ストロベリーフィールズ』を5年かけて完成させたけど、
こいつも4年かけて映画撮ったんだよ」
何だか似たようなことをしているらしい。
そう紹介された彼は、大阪出身。
僕は和歌山生まれの、大阪育ち。
関西のノリで盛り上がった。
そして、僕がお世話になった脚本家の先生に
彼もお世話になっている。
おまけに僕のアパートの近所に住んでいた。
何だか長い付き合いになりそうだ。
間もなく公開になった僕の「ストロベリーフィールズ」を見てくれた。
最後列の席から見ていても分かるくらいに
彼は号泣。ボロボロに泣いていた。
「太田さんは関西人のノリなので、笑える映画かと思ったら
あんな悲しい泣ける映画を作る人とは思わなかった。
人は見かけによらないですね?」
褒めているのか、けなしているのか分からない。
でも、もの凄く感動したという。
家が近所ということもあり、
駅近所の彼のアパートの前を通ると電話。
「今、下にいるけど、飲みに行かない?」
と言って、中華料理屋で餃子を食べた。
それ以来「餃子食べに行こう!」が合い言葉となる。
「そろそろ、餃子はどうですか?」
年賀状にまで、そう書いて来る。
あるとき、彼から相談を受けた。
「4年がかりで作った監督デビュー作。完成して、間もなく公開になります。
でも、予算がなくて宣伝をどうすればいいか?
相談に乗ってほしいんです」
僕は「ストロベリーフィールズ」のときも、和歌山&東京で宣伝活動をした。
お金をかけずに宣伝するのは得意だ。
そのとき、こんなことを言われた。
「太田さんの新作はいつ頃、見れそうですか?
お世辞じゃなくて本当に期待しているんです」
4年がかりで完成することになる『青い青い空』
一番、辛かった時期で、全てがストップしていた。
希望が見えない時期だった・・。
(つづく)