脚本を読んでもらうこと。 [脚本]
本日、午前中。ネット復旧をめざして奮闘。
ブロバイダーとマックに電話。それぞれからの指示で作業するが、いずれもダメ。ネット使えない生活5日目に突入。物凄く不便している。
マクドナルドに行き、ネットブックを使っても、電波状態が悪く、1時間かけて書いた文章が消えたり・・。駅前のネットカフェまで行って、料金を払ってパソコンを使うしかない。
そこでブログを書く。本来の仕事は部屋に戻ってから、自宅のパソコン・・・。
そして、せっかくリレーブログを担当させてもらったのだから、何かおもしろいことを書こうと思っていた。
なのに、今、進行している仕事は、まだ発表できない。そのことがある筋から漏れて、昨夜もよくない情報が入ってきた。
といって、ネット使えない生活を何度も読むのも、面白くない。書く方もイライラ。と、また、今、マクドナルドで書いていたら、急にログアウト。
ここまでの文章が全て消えてしまった・・・・「もう、今日はネット辞め!」と思うが、全てを書きなおす。もう、ネットの話は嫌だ! 少し前にあった話を書く。
「シナリオを読んでもらえますか?」
僕のようなものでも、そんなことをいわれることがある。映画学校の学生だったり、同業者の後輩だったり。思い出すのは留学を終え、帰国した頃のこと。
バイトをしながら、シナリオを書き続けていた。書いているだけでは、うまくならない。誰かに見てもらい、批評され、反省し、考えて、また書くことに意味がある。
でも、なかなかシナリオを見てくれる人はいなかった。堅気の友人に見せてもダメ。シナリオは日本語で書かれているので、誰でも読める。
だから、皆、小説と同じだと思いこんで読んでしまうのだ・・。しかし、シナリオというのは、その物語を俳優が演じ、カメラで撮影し、音楽がかかって完成。その形を想像して読まねばならない。
それを小説のように読んでしまうと、物足りない。小説のような表現は、シナリオでは使われていない。また、読んでいるだけで、音楽は聴こえてこない。
そのために「感動できない」「よく分らない」ということになる。その意見を真に受けても意味はない。
といってプロに読んでもらうのも大変。僕の場合。そのころ(90年代初期)から、幸いなことに多くの友人が映画界で働いていた。が、彼らは多忙。睡眠時間を削って働いている。
シナリオを読むには、もの凄い集中力が必要。疲れ果てている彼らは、なかなか読んでくれない。ようやく、時間がある奴を見つけて頼み込んだ。しかし、感想はこうだ。
「何がやりたいのか?分らない。これってアニメなの?」
当時、僕が書いていたのはSFドラマ。が、そのころの日本映画には、ほとんどSFはなかった。「ゴジラ」シリーズはあったが、そのせいで日本では「SF」=「怪獣もの」という印象が強かった。
もちろん、外国映画では「ターミネーター」や「エイリアン」が既に登場。シリーズ化もされていたのに、日本を舞台にすると、その種のストーリーが想像できないようで、「分らない」「アニメなの?」という業界人が多かった。
「刑事もの」「青春もの」のような定番ならいいが、映画界で仕事するプロデュサーも、脚本家も、皆、ピンと来ないと言う。
「いや、俺は分かっている! だが、こんなものじゃ駄目だ。お前は努力が足りない」
という。が、よくよく批評を聞くと勘違いの連続。実は分かっていないことが多かった。なかなか、的確な意見を言ってくれる人には出会えなかった。
その後、脚本家の仕事を始めてからも、「よく分らない」と言われたことがある。僕が脚本、監督をした「ストロベリーフィールズ」だ。
交通事故で死んだ女子高校生が幽霊になって、帰ってくるという「青春ファンタジー」もの。第1稿を書いたのは2001年。その時代でも、理解してくれる業界人は少なかった。
「幽霊が出るんだから、ホラーだよね?」
という年配のプロデュサーもいた。これもアメリカでは昔からあるジャンル。「天国から来たチャンピオン」「ゴースト」「フィールズ・オブ・ドリームス」等の有名な作品がある。
なのに、舞台を日本にしただけで、皆、「想像できない」「イメージしにくい」という。
数年後。その種の幽霊ファンタジーが続けて製作された。「星に願いを」「黄泉がえり」等が大ヒットし、市民権を得た。その後、僕のシナリオを見せると、こう言われた。
「何だ。よくある作品のマネじゃないか? オリジナリティがないんだよなあ・・」
業界の先輩にそう言われた。数年前、彼にシナリオを読んでもらったときは「何だか、よく分からん話だなあ・・」といっていたのだが・・・。
そんな経験があるので、今、若い人たちの書いたシナリオを読むときは、緊張する。例え、面白くなくても、僕に想像力がないだけではないか?
新しい作品を知らないのでイメージできないだけではないか? 過去の経験と、狭い日本の価値観だけで見ていないか? そんなことを考えてしまう。
そして、若い人たちに伝えたい。自分が書いた作品を業界のプロデュサーが否定しても、ベテランの作家が批判しても、そのまま鵜呑みにしてはいけない。
彼らの方が古い感性で、新しいものを理解できないだけかもしれない。逆に彼らが誉めたたえ、絶賛したものは、若い観客には決して受け入れられないはずだ。
自分を信じて、新しい世界を切り開くこと。大切だと思っている・・・。
(つづく)