「太陽娘と海」から10年 [太陽娘と海]
2008年3月。
いつも仕事をするカメラマンから、メールが来た。
「10年前の今頃は、湘南で撮影してましたね?」
ああ、あれからもう10年か・・・。
今もまだ、この間のように覚えている。が、あれから・・・10年・・・・。
出演者がどんどん結婚して、母親になって行くのも当然か・・。
僕自身が結婚したとか、別れたとかいうことがないので、
時が経つのが、分からないだけなのかもしれない。
いや、この10年は本当に戦いの連続だったので、
桜が咲くのも散るのも気づかないくらいだった。
10年前。1998年に参加した作品。テレビドラマ「太陽娘と海」。
深夜に放送されていた番組。ドラマ部分は10分。あとは情報番組。
僕はドラマ部分の監督補だった。
メイキング・コーナーは撮影と演出も担当。
ブリッジ・コネクションの振り付けまで考えた。
あと、DJの台詞も書いたなあ。
主人公・マリンのライバル・渚が担当するDJの決め台詞が英語。
ライターの書いたものがパッとしないので、「何かないか?」ということで、僕が考えた。
アメリカ留学時代に聞いていたロサンゼルスのDJ風。
湘南に2週間合宿しての撮影。ホテルや旅館ではない。
アパートを2週間だけ借りて宿泊。若い女の子たちが10人くらい出演。
その中の5人が初代・モーニング娘。ドラマ初出演。
持ち歌はまだ「愛の種」と「モーニングコーヒー」しかなかった。
撮影が辛くても、疲れた顔を見せず、よくがんばっていた。
本当に皆、歌が好きで、夕食のあと、スタッフの目の前で「愛の種」を歌ってくれたりもした。
そのメンバーも今は全員、卒業。オリジナルメンバーは誰もいない。
ドラマには何と、サムシング・エルスも出演していた。
その後「電波少年」で一世風靡した彼らも、すでに解散。
撮影に使った湘南のサブマリンバス(写真上)も、今はないらしい。
あるHPでそれを知った。そう考えて行くと、やはり10年の月日を感じる・・・・。
僕は「太陽娘と海」に参加したことで、
次のシリーズ「風の娘たち」で監督デビューすることとなる。
それからドキュメンタリーにホラー。とさまざまな仕事をしていくことになった・・・。
10年間前の今頃は湘南で撮影・・・。
忘れられない日々・・・。
(つづく)