シナリオと照明 [脚本]
先日、照明部の友人と話していて気づいたのだが、シナリオライターは単に物語だけ考えて、シナリオを書いていてはいけないこと。痛感した。
例えば、「ゴッドファーザーPARTⅡ」で若き日のドン・ビトー・コルレオーネ、を演じたロバート・デ・ニーロの場面。
町のボスを殺そうとカーニバルの日に付けねらう。彼のアパートで待ち伏せ、扉の前の死角に隠れる。
踊り場の電球を緩め暗くする。帰って来たボスが「あれ?」と思って電球を触ると、フっフっと明るくなる。
その光が闇に隠れているデ・ニーロを浮かび上がらせる。僕が最も好きなシーンの1つ。照明部の友人は言う。
「でも、あの照明はシナリオに、あの設定があったから出来たこと。電球の話がなければ、あの照明にはならない」
つまり、シナリオを書く段階であの照明をしようという意図があり、それを物語に取り入れたのである。
シナリオはマリオ・プーゾと監督のコッポラ自身。たぶん、映像を心得たコッポラが考えたのではないか?
同じ意味でシナリオライターも、物語だけを書くのではなく、その場面での照明効果も計算して、物語に取り組むことが有効。
ただ、ライターは現場を知らない。照明がどのようになされるのかも分からない。
となると、やはり、コッポラのように監督自身がシナリオを書き、照明を勉強し、光と影を物語に反映することが大事なのかもしれない。
僕も「光と影」は好きなので、物語に良く取込む。「ストロベリーフィールズ」の「理沙の夕陽」のシーン。凄く好評だった。
でも、まだまだ「あれをすればよかった・・」と思う部分もある。照明のことも、いろいろと勉強せねば・・。
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