脚本家を目指す人たちへ(1)シナリオを読んでもらうということ [アンコール]
「シナリオを読んでもらえますか?」
僕のようなものでも、そんなことをいわれることがある。
(監督だけでなく脚本家業もやっている。シナリオ作家協会の所属でもあります)
映画学校の学生だったり、同業者の後輩だったり。
思い出すのは留学を終え、帰国した頃のこと。
バイトをしながら、シナリオを書き続けていた。
書いているだけでは、うまくならない。
誰かに見てもらい、批評され、反省し、考えて、
また書くことに意味がある。
でも、なかなかシナリオを見てくれる人はいなかった。
堅気の友人に見せてもダメ。
シナリオは日本語で書かれているので、誰でも読める。
だから、皆、小説と同じだと思いこんで読んでしまうのだ・・。
しかし、シナリオというのは、その物語を俳優が演じ、
カメラで撮影し、音楽を入れて完成。
その形を想像して読まねばならない。
それを小説のように読んでしまうと、物足りない。
小説のような表現は、シナリオでは使われていない。
また、読んでいるだけで、音楽は聴こえてこない。
だから・・。
「感動できない」「よく分らない」
ということになる。その意見を真に受けても意味はない。
といってプロに読んでもらうのも大変だ。
(つづく)
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