シナリオ取材(7ー終)テレビの話は台詞にし辛い? [太田監督の次回作!]
家族の会話。取材した。
多いのは、テレビの話という。
でも、番組名とかは時間と共に忘れられる、
内容を知らない人にも????となる。
昭和40年代が舞台であれば、
”肝っ玉母さん” ”ありがとう” ”8時だよ! 全員集合”
と国民的な人気番組があった。
その話をすれば、当時の感じが出る。
が、現代では番組によって見る世代が違うし、視聴率も低い。
時代感も出ないし、その家族らしさを表現するのもむずかしい。
ああ、うちも同じだ!と
多くの人が共感してもらうには、テレビ番組では駄目だ。
で、さらに質問。
ーーー夕食はどんなものが多かったですか?
いろいろと、メニューを教えてくれる。
そんな中にひとつ。とてもいいものがあった!
他のエピソードにも繋がるもの!
さらに、話ははずみ。とてもいいエピソード聞けた。
これだ!!
やはり、現実は強い。
心温まる!
すぐにネットカフェに直行だー!
と思ったが、予定があり。それもできない。
明日、書くぞ!
(つづく)
シナリオ取材(6)リメイクが駄目な理由 [太田監督の次回作!]
それが最近も続く、パニックものだ。
”ポセイドンアドベンチャー”をリメイクした”ポセイドン”
オリジナルが2時間ほどの映画なのに、リメイク版は90分。
同じ物語で、なぜ、30分も短くなるのか?
もう、お分かりだろう。人物描写を大幅にカットしたのだ。
当然、リメイク版は面白くなく、前作に及ばない。
ヒットもしなかった。
観客の声は大切だが、それを鵜呑みにすると駄目ということ。
そして、映画の中の人生ドラマはパニック映画でも大切ということなのだ。
ようやく、話は戻るが
そんな訳で、家族の夕食シーン。
映画的に家族を紹介するための会話にしてはいけない。
観客が自分も家族の一員であるかのような、親しみや共感を感じてほしい。
それに必要なのは巧妙に作られた台詞ではなく、
本当に存在した家族の会話だと思える。
そんな会話をゲットしようと、元大学生に取材。
あれこれ、いろいろと話してもらう。
(つづく)
シナリオ取材(5)観客の要望が映画を駄目にする? [太田監督の次回作!]
当初、”大空港”と同じように人生ドラマを長々と描いていたが
次第に、事故や災害が早く起こるようになる
観客はそこが目当なので、喜んだ訳だが、
次第に何が起きても、ハラハラドキドキしなくなって来た。
人が何人死のうとも、多くの人が犠牲になろうとも
哀しみも、感動も、ない。
ただ、災害や事故を見て、すげーーーなーーーーと思うばかり。
その原因考えると、登場人物が描けていないということが分かる。
その人に共感できないと、どんな悲惨な事故に巻き込まれても
他人事になってしまうのだ。
なのに、現在、ハリウッド映画ではマニュアルがあり
”登場人物は画面に出てからすぐ、30秒でキャラ紹介をせねばならない”
というのがあるらしい。
そう言えば、最近の映画はその手のものが多く
会話等で、その登場人物の職業や背景を説明している。
ストーリーを追うには十分な情報量だし、
観客の期待は人物より、災害や事故シーン。
ハリウッド映画はリサーチが徹底しているので、試写会等でも観客の希望を聞く
そうすると、”人物紹介が長い! 早く事故のシーンが見たい!”
という意見が多くなる。
実際、人物紹介がしっかりとあるから、事故シーンが盛り上がるのに
観客は素人。それに気づかない。
でも、映画会社は意見を鵜呑みにして、観客の期待に答える映画を作ったのだ・・。
(つづく)
シナリオ取材(4)パニック映画に学ぶ [太田監督の次回作!]
その意味で、家族の夕食シーンであっても、
机の上で書いた台詞で会話しては、伝わらない。
それでは単なる説明にしかならない。
まして、そのシーンは家族の存在を伝える大切なシーン。
形だけの家族会話では駄目なのだ。
その悪例が最近のハリウッド映画には多い
分かりやすいのはパニック映画。
昔のもの、例えば”大空港”
延々と乗客の人生ドラマを紹介し、その人たちが同じ飛行機に乗り込む
そして、最後の最後で爆弾が機内で爆発。
果たして!という映画だ。
その作品が大ヒットして、”エアポート”シリーズが作られる。
”エアーポート75” ”エアーポート77” エアーポート80”
また、ポセンドンアドベンチャーのヒットで
タワーリングインフェルノ、が作られ、
それらの系譜は
”アルマゲドン” ”ディープインパクト”
”インディペンデンスデイ”
に引き継がれて行く。
皆、多くの登場人物がそれぞれの人生を背負って、
大きな災害と遭遇するというパターンだ。
(つづく)
シナリオ取材(3)作家・山崎豊子さんの凄さ [太田監督の次回作!]
”不毛地帯””白い巨塔” ”沈まぬ太陽”
等で知られる作家、山崎豊子さんの小説を読むと
圧倒される。
もの凄く徹底した取材で書かれているからだ。
病院、銀行、航空会社、舞台となる業界を徹底的に調べてある。
その業界を知らなくても、読んでいて、リアリティを感じる。
その山崎さんが”二つの祖国”を書いたとき
日本にいる日系人の弟と、アメリカにいるその兄が戦場で向かい合う展開を
書こうとしたとき。そんな事実が実際にあったか?
調べまくったという。
実際になくても、フィクションなのだから書けばいいと思うのだが
それでも調べて、調べて、調べて、ようやく事例を見つけたので
書いたという。
僕もシナリオを書くようになって分かって来たのだが、
実際にあった話というのは、創作では絶対に出せなない重みや迫力がある。
どんなに腕のいいライターが書いても
ウソのうまい人が話しをしても、本物には勝てないのだ。
(つづく)
シナリオ取材(2)机の上で考えた台詞? [太田監督の次回作!]
もちろん、取材せずともパターンで家族の会話は書ける。
例えば、子供の成績の話。
妻 ”お父さん。この間**子の三者面談に行ったんだけど
この成績じゃ**大学は無理です。とハッキリ言われちゃって・・”
とか、いかにも高校生の娘がいる家族の会話ぽいのは書ける。
おまけに、その台詞によって、娘の成績が悪いこと
**大学を志望していること。母が大学進学を望んでいること
等も説明できてしまう。
また、このような会話は日本であれば、どこの家族でもしているだろう。
でも、それでは伝わるものが少ない。
もし、昭和40年代であれば、こういうのもあり。
娘。”お父さん。隣の山田さん。ピアノ買ったんだって!”
妻”お父さん。今朝の新聞で一戸建ての広告が出てたんですよ”
当時、家庭では競うようにピアノ買ったり
アパートを出て、一戸建ての家を建てる家族が多くいたからだ。
それによって時世を反映。
どこにでもいる家族。という設定を伝えることができた。
サザエさんが”カツオ。勉強しなさい!”
というのも、そんなパターンのひとつ。
でも、それだけではない。そこに家族がいる。
家族の歴史がある。そんなことを感じる会話がほしかった。
が、それを創作すると、やはり伝わらないのだ。
(つづく)
シナリオ取材(1)リアリティを求めて? [太田監督の次回作!]
原発事故を題材とした映画。
そのシナリオ取材をする。
映画の登場人物に限りなく近い環境にいて
地方在住、4人家族。父母姉妹。
(特に近所に原発がなくても可)
そして、ついこの間まで女子大生だった人に質問。
夕食のとき、家族でどんな会話をするか?
取材させてもらった。
もちろん、取材せずに書くこともできる。
が、それではなぜかリアリティが出て来ないのだ。
”こんな家族。いねえだろう?”とは思われないのだが
伝わるものがないのだ。
不思議なもので、観客というのは、
本物と偽物を嗅ぎ分ける力を持っている。
”何かウソ臭い?” ”良く分からないけどリアリティある!”
そんなことを感じる。
それをクリエーターたち。
監督やプロデュサーや脚本家という人たちは
嘗めてかかり、”どーせ、分かりゃしないよ!”と考えてしまう。
だが、それを疎かにすると作品に力がなくなる。
絵空事となり、伝わらなくなるのだ。
”青い青い空”のときも、女子高生や書道部の生徒に取材。
その上で台詞を書いた。
”若い子たちって、あんなこと言うよね!”
と評判になった。今回もしっかりと取材したい。
で、先の女の子に取材。
でも、意外に毎日、話ししていたことは覚えていないものなのだ・・
(つづく)
続・新作シナリオ執筆中(9ー終)泣けるといい場面になる? [太田監督の次回作!]
もう10年以上前になるが、
”救世主ケイン”というミステリー小説を書いたとき
夕方起きて、珈琲飲んで、こんな感じ。
”さあ、執筆だ!
いよいよ紗耶香とケインの対決だ!
どうなるんだろうなあ・・
ケインも酷いけど、紗耶香もとんでもないからなあ”
というふうに、書くというより、連続ドラマを見る感覚だった。
”やっぱ、監督。頭おかしいでしょう?”
と言われそうだが、
そんなふうに感じて書いたものは、必ず評判がいい。
どうしようかな? こうしようか? 新キャラ登場かなあ?
とか、考えて書いたときは、たいてい駄目だ。
物語とは不思議なもの。
”青い青い空”のときはどうだったかな?
書いているときのことって、意外に覚えていないもの
やはり、霊が降りて来て書かされるものなのかも。
あ、三美子のシーン(もちろん、あそこです)を書いたときは
もう、涙が止まらず、ボロボロになりながら書いた。
そして、あのシーンができた。
さて、今回は
先の家族団らん。夕食のシーンが終われば
いよいよ、かつてない過酷な物語が待っている・・
(つづく)
続・新作シナリオ執筆中(8)書くというより見つめる感じ? [太田監督の次回作!]
”青い青い空”のときも、
本物の女子高生から取材した。
今回も・・・でも、とりあえず、そのシーンを書き上げる。
場面の終わりは姉のモノローグ。
ーーーーーそれが私たち家族にとって、最後の・・・・・。
その一節を書いたとたんに、胸が詰まった・・。
そう、平和な場面はここまで。このあと地震が起こり
原発事故が起こり、この家族4人はバラバラになって行く。
そして・・
ここで集中力が切れた。
無理すれば書けるが、取材を先にしたい思いもある。
しかし、辛い物語になってきた・・。
ヘンな表現になるが、主人公の女子中学生。
彼女がこの先どうなるか?
もちろん、僕は知っている。自分で考えた物語なんだから当然。
でも、あまりにも辛い現実を彼女が体験すること。
見ていられない・・。
同時に、それを見つけなければならない・・・という使命感。
物語を書いて行くという感覚ではない。
見つめて行く・・・という感じ。
ここまでくれば、どんどん進むだろう。
(つづく)
続・新作シナリオ執筆中(7)犬の名前も重要。シロではない? [太田監督の次回作!]
そう考えていると、忘れ物に気づく、
冒頭に戻り、犬のシーンを加えた。これは大事。
この犬が重要なキャラなのだ。
そして犬の名前も重要。
名前も半日かけて考えた。
当初は”淳之介”にしていたが、それでは面白くない。
シロ。とか、ポチではもっと面白くない。
なので、またまた、あるロックミュージシャンの名前から戴いた。
名前ひとつで、物語がイキイキしてくる。
主人公たちの背景も感じる。
先のシーンに戻る。考えたのが、一家の団らんシーン。
だが、その会話。リアルでなければならない。
姉妹でどんな話をするのか? 今時の高校生は何に興味あるのか?
ヤバい!
取材せねば、原発事故の取材はかなりしたが、その辺が疎かになってはいけない。
(つづく)