神経を研ぎ澄ます(上) [編集作業]
編集しているとき。
神経を異常なほど、尖らせなければならない。
画面の中の主人公。
その黒目の動き方で、
その目線で
「悲しみ」や「喜び」を表現する。
指の動きひとつ。
歩き方。
或いは沈黙の長さ。
見つめる風景が何なのか?
それによって、虚無感や悲壮感を表現する。
これ全て編集によってやらねばならない。
えんぴつが落ちたときの小さな音。
紙の上を筆が走るかすかな音。
それらに着目し、大きな感動に結びつけて行くのが編集だ。
(つづく)
神経を異常なほど、尖らせなければならない。
画面の中の主人公。
その黒目の動き方で、
その目線で
「悲しみ」や「喜び」を表現する。
指の動きひとつ。
歩き方。
或いは沈黙の長さ。
見つめる風景が何なのか?
それによって、虚無感や悲壮感を表現する。
これ全て編集によってやらねばならない。
えんぴつが落ちたときの小さな音。
紙の上を筆が走るかすかな音。
それらに着目し、大きな感動に結びつけて行くのが編集だ。
(つづく)
ハリウッド式撮影&編集を実践する日本監督たち(下) [編集作業]
岩井俊二監督、行貞勲監督の作品。
流れるように物語が進むので、気づきにくいが
彼らの作品を見ると、「このシーンは何度撮ったんだ?」
と思えるほど、様々な角度から撮影されている。
それを編集することで、リズムと流れを生み出している。
そこに見事な編集センスを感じる。
僕以外にも、いや、有名監督たちも同じ手法で映画を作っているのを知り
うれしかった。
(つづく)
流れるように物語が進むので、気づきにくいが
彼らの作品を見ると、「このシーンは何度撮ったんだ?」
と思えるほど、様々な角度から撮影されている。
それを編集することで、リズムと流れを生み出している。
そこに見事な編集センスを感じる。
僕以外にも、いや、有名監督たちも同じ手法で映画を作っているのを知り
うれしかった。
(つづく)
ハリウッド式撮影&編集を実践する日本監督たち(上) [編集作業]
今回の作品でも、僕が実践したのは
ハリウッド式撮影&編集。
もの凄くお金がかかるように思えるが、デジタルやハイビジョンの普及で
日本でも低価格でできるようになった。
とはいえ、なぜか? それを実践している監督は少ない。
昔の日本映画手法を今も、頑に守る人が多い。
そんな中、ハリウッド式を実践しているのが、
「ラブレター」「スワローテイル」「花とアリス」等の岩井俊二監督と、
「世界の中心で愛を叫ぶ」「クローズド・ノート」等の行貞勲監督
だと聞く。
(つづく)
通常の編集は? [編集作業]
話は戻るが、補足。
編集に関して僕のスタイルと「思い」。先に書いてしまったので、
「編集って大変なことだなあ!」
と思われてしまったかもしれない。
が、もともと、映画も分業制。昔の歌謡曲と同じ。
脚本家がシナリオを書き、監督が撮影現場で演出。
それを編集マンが編集。監督立ち会いのもとダビングをして完成。
監督が編集に立ち会い指示することもあれば
編集マンのお任せという監督もいる。
ベテランの編集マンだと、監督のいうことは聞かず
勝手に編集してしまうこともある。
それが映画界の現状。
ただ、先にも書いた通りに巨匠は皆、自身で編集。
いや、反対だ。巨匠だから自身で編集するのではなく
自身で編集するから、思いが伝わり、いいものが出来て、
巨匠になったのだろう。
でも、今でも、製作会社の片隅で同僚とおしゃべりしながら編集する
作品も多い。
むしろ、それが一般的かもしれない。
僕は絶対に許せないのだけど。
(つづく)
編集に関して僕のスタイルと「思い」。先に書いてしまったので、
「編集って大変なことだなあ!」
と思われてしまったかもしれない。
が、もともと、映画も分業制。昔の歌謡曲と同じ。
脚本家がシナリオを書き、監督が撮影現場で演出。
それを編集マンが編集。監督立ち会いのもとダビングをして完成。
監督が編集に立ち会い指示することもあれば
編集マンのお任せという監督もいる。
ベテランの編集マンだと、監督のいうことは聞かず
勝手に編集してしまうこともある。
それが映画界の現状。
ただ、先にも書いた通りに巨匠は皆、自身で編集。
いや、反対だ。巨匠だから自身で編集するのではなく
自身で編集するから、思いが伝わり、いいものが出来て、
巨匠になったのだろう。
でも、今でも、製作会社の片隅で同僚とおしゃべりしながら編集する
作品も多い。
むしろ、それが一般的かもしれない。
僕は絶対に許せないのだけど。
(つづく)
協力に感謝です(下) [編集作業]
例えば、編集中に「そろそろ金返してくれよ!」とか
「編集。進んでいるかな? 途中経過を教えてよ!」
とか言って来られると、ブチ切れて通り魔になってしまう。
編集中は、もの凄く感度が高くなる。
苛立ちも10倍。怒りも10倍。悲しみも10倍になる。
言葉が話せなくなり、人間でなくなる。
編集の進行が気になっている方もいたと思うが
ひたすら連絡を控え編集に専念させてくれたこと。
ありがたかった。
お陰さまで「書道♡ガールズ」いい出来となっている。
編集中に何通か頂いたメール。お返事等。ほとんどできていないが
順に連絡させて頂く。
本当にありがとうございました。
(つづく)
協力に感謝です(上) [編集作業]
編集。終了といってもまだ、細かな手直しは続く。
が、異常ともいえる集中力で作業する期間は終わった。
いつものように、多くの関係者&友人が連絡を控えてくれたこと。
感謝しています。
いつも、編集時は電話連絡を控えて頂き。メールのみにお願いしている。
重要な用件は例外として、メールを頂いてもすぐには返事できない旨。伝える。
今回は過労でダウンしたところからのスタート。
お願いメールを出せずにいたが、ほとんどの方が理解してくれていて
編集をスタートしたとたんに、パタッ!と連絡がなくなった。
本当にありがたかった・・・。
(つづく)
編集作業。ようやく終了! [編集作業]
1ヶ月ほど続いた編集作業
ようやく終了した。
今回ほど、苦しい、辛い編集はなかったが、
かなり密度の濃い形になっているはず。
といっても、まだ完成ではない。
ようやく、撮影した映像が繋がったというだけだ。
まだ、加工した映像も挿入されていない。
音の直しも、まだこれから。
だが、ここからはまた、それぞれのプロフェッショナルが参加してくれる。
細かな部分の再編集はあるが、
ようやく、ゴールが見えて来た感じだ。
(つづく)
編集は監督がやらねばならない(下) [編集作業]
映画も同じ。巨匠と呼ばれる大監督たち。
皆、自分でシナリオを書き、演出し、編集する。
黒澤明監督も、大林宣彦監督も、北野武監督も、
皆、同じだ。
彼らが企画し、シナリオを書き、演出し、編集までこなす。
だから、「思い」が伝わる。
感動する。それが名作と呼ばれるようになる。
映画も音楽も「思い」が感動を呼ぶのだ。
いろんな人が間に入り、「思い」が薄くなると感動は伝わらない。
だからこそ、どんなに体調が悪くても、監督自身が編集せねばならないのだ。
(つづく)
編集は監督がやらねばならない(中) [編集作業]
映画の編集。音楽の話に例えると分かりやすい。
昔の歌謡曲。有名な作詞家が作詞。作曲家が作曲。それを歌手が歌う。
キャンディーズも、ピンクレディも、松田聖子もそうだった。
でも、今のアーティスト。
自分で作詞作曲して、自分で演奏して歌う。
山下達郎、松任谷由実、矢沢永吉、あたりからそうなって来た。
今ではそれが主流。海外はかなり前からそうだ。
ローリング・ストーンズも、ブルース・スプリングスティーンも、
マイケル・ジャクソンも、ビートルズも、
皆、自分たちで作詞して作曲。演奏して歌う。
というのも、作詞、作曲、歌。演奏。と、それぞれを別々の人が担当すると
最初に「この作品を作ろう!」とした人の思い、
間に人が入ることで、薄まってしまうのだ。
聴く人たちに「感動」が伝わりにくくなる。
映画作りも同じ・・。
(つづく)
昔の歌謡曲。有名な作詞家が作詞。作曲家が作曲。それを歌手が歌う。
キャンディーズも、ピンクレディも、松田聖子もそうだった。
でも、今のアーティスト。
自分で作詞作曲して、自分で演奏して歌う。
山下達郎、松任谷由実、矢沢永吉、あたりからそうなって来た。
今ではそれが主流。海外はかなり前からそうだ。
ローリング・ストーンズも、ブルース・スプリングスティーンも、
マイケル・ジャクソンも、ビートルズも、
皆、自分たちで作詞して作曲。演奏して歌う。
というのも、作詞、作曲、歌。演奏。と、それぞれを別々の人が担当すると
最初に「この作品を作ろう!」とした人の思い、
間に人が入ることで、薄まってしまうのだ。
聴く人たちに「感動」が伝わりにくくなる。
映画作りも同じ・・。
(つづく)
編集は監督がやらねばならない(上) [編集作業]
「なぜ、体調最悪なのに自分で編集するの? 誰かに頼めばいいじゃん?」
そう思った人も多いだろう。理由がある。
昔、あるテレビドラマを担当した。
編集スタジオが手回しのいいところで、監督がイチから編集をしなくても
ある程度まで編集をしてくれていた。監督は気に入らないところを直せばいいだけ。
その編集。非常に正当派で、編集文法に乗っ取ったものだ。
よく出来ていた。だが、ドラマとして全然、面白くなかった。
ということは、僕の演出がよくなったのか?
ん? 待てよ。編集をイチからやり直した。
結構、おもしろいドラマになった。
シリーズ中、かなり高い評価を受けるエピソードとなる。
が、スタジオの編集マン。決して腕は悪くない。
僕の編集が特に、優れているということでもない。
この経験で、編集というものが分かって来た。
そこに映画作りの「面白さ」と「難しさ」があったのだ。
(つづく)