シナリオを書くということ(4)ストロベリーの頃 [脚本]
そう思ってかかったのが『ストロベリーフィールズ』である。
仕事を断ってシナリオを書いた。だから、時間はある。(経済的には大貧窮したけれど)取材もできる。半年ほどかかって第1稿を書いた。
その頃の話=>http://t-ota.blog.so-net.ne.jp/2007-10-25-1
その後、製作費集めに月日がかかり、気づいたことがある。
「もう、これでOKだ。満足できる物語だ」
と思っていても、1か月ほどして読み直すと穴だらけ。で、リライト。「よし、これでOK」と思い、また1か月。すると、以前には気付かなかった問題点が見えてくる。
1年が経つと、まるで樽詰されたワインが発酵。味に奥行きが出てくるように、物語も発酵を始める。キャラクターの過去や背景、今まで考えなかったものが見えて来たのだ・・・。
(つづく)
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シナリオを書くということ(3)愚かなPたち [脚本]
あるとき、こんな依頼が来た。
「実際に起こった犯罪事件をリアルに描く。実名で再現ドラマにする」
なのに、プロデュサーはこういう。
「時間がないので、取材はいいです。とにかく、早くシナリオを書いて下さい!」
実名で犯人の名前を上げるのに、その犯罪を調べなくてもいいというのだ。そんなことで適当にシナリオを書き、作品が完成したら、訴訟問題に発展するだろう。製作会社も訴えられる。
でも、その人はそこまで考えない。気にしているのは、予算内で、予定通りにプロジェクトを進めるということだけ。そんな人たちが多い。
シナリオを書くたび。喧嘩してしまう。
おとなしく、言われた条件の中で書けば、また仕事をもらえるのに、それができないことが多かった・・・。どうせ、揉めて大変なのだから、それなら自分が本当に書きたい作品を書こう。それを自分で監督しよう!
そう思ってかかったのが『ストロベリーフィールズ』である・・・・・。
(つづく)
シナリオを書くということ(2)映画界の現状 [脚本]
答えは、多くの製作会社、シナリオの重要性を理解していないから。
人気タレントを押さえた。スタッフを集めた。クランクインの日を決めた。外枠ばかりに力を入れて、肝心のシナリオを疎かにする。
先のケースは、ライターに脚本を依頼していたが、上がったものが気に入らない。直しを頼む。でも、よくならない。四苦八苦しながらも、シナリオ直しより撮影準備に力が入る。
そしていよいよ、デッドライン。ライターもお手上げ。
で、僕に電話して来たのだ。(書くのが早いと評判だったから・・でも、1日では書けないですよ)
本来は撮影準備や主演女優を決める前に、シナリオを作らねばならない。完成度の高いものが出来てから、準備というのが本当。それを疎かにする。他の面でも、脚本を書くとはどういうことか? 理解されてないことがある。
シナリオを書くには、取材が必要!
題材が野球でも、バスケットボールでも、実際にやっている人たちの生の声を聞き、作家自身もナマで試合を見ることで、リアルな物語が作れる。
「野球入門」のような本だけ読んで、テレビでプロ野球を見ただけでは、奥行きのあるドラマは書けない・・・。
(つづく)
シナリオを書くということ(1)3ヶ月 [脚本]
未だにネットは復旧せず。
ネットカフェで作業中。本日日曜日はこのあと、連休で東京に戻った友人と会う。夜は友人の漫画家さんのイベントへ。打ち上げに参加すれば、終わるのは明日の朝だ・・。
シナリオの話を書く。通常、依頼は製作開始の3か月ほど前にある。まず、題材の取材。ストーリーを考える。そして書く。と3つの段階を踏む。
これを3か月でやるのは、かなり大変。とにかく、考えるというのは時間がかかる。どこかで聞いたようなパターンの物語であれば、すぐにでも書けるが、力の入ったものだと簡単にはいかない。
なのに、3か月どころか、1か月前とか、1週間前に、依頼してくる会社もある。「明日までに書いてほしい!」というのも、あった。
ある程度、出来上がっているシナリオを直してほしいというものだった。が、読んでみると、ほとんど中身がない。全面的に書きなおさないとダメだった。
なぜ、そんな無茶なことが起こるか?
(つづく)
脚本を読んでもらうこと。 [脚本]
本日、午前中。ネット復旧をめざして奮闘。
ブロバイダーとマックに電話。それぞれからの指示で作業するが、いずれもダメ。ネット使えない生活5日目に突入。物凄く不便している。
マクドナルドに行き、ネットブックを使っても、電波状態が悪く、1時間かけて書いた文章が消えたり・・。駅前のネットカフェまで行って、料金を払ってパソコンを使うしかない。
そこでブログを書く。本来の仕事は部屋に戻ってから、自宅のパソコン・・・。
そして、せっかくリレーブログを担当させてもらったのだから、何かおもしろいことを書こうと思っていた。
なのに、今、進行している仕事は、まだ発表できない。そのことがある筋から漏れて、昨夜もよくない情報が入ってきた。
といって、ネット使えない生活を何度も読むのも、面白くない。書く方もイライラ。と、また、今、マクドナルドで書いていたら、急にログアウト。
ここまでの文章が全て消えてしまった・・・・「もう、今日はネット辞め!」と思うが、全てを書きなおす。もう、ネットの話は嫌だ! 少し前にあった話を書く。
「シナリオを読んでもらえますか?」
僕のようなものでも、そんなことをいわれることがある。映画学校の学生だったり、同業者の後輩だったり。思い出すのは留学を終え、帰国した頃のこと。
バイトをしながら、シナリオを書き続けていた。書いているだけでは、うまくならない。誰かに見てもらい、批評され、反省し、考えて、また書くことに意味がある。
でも、なかなかシナリオを見てくれる人はいなかった。堅気の友人に見せてもダメ。シナリオは日本語で書かれているので、誰でも読める。
だから、皆、小説と同じだと思いこんで読んでしまうのだ・・。しかし、シナリオというのは、その物語を俳優が演じ、カメラで撮影し、音楽がかかって完成。その形を想像して読まねばならない。
それを小説のように読んでしまうと、物足りない。小説のような表現は、シナリオでは使われていない。また、読んでいるだけで、音楽は聴こえてこない。
そのために「感動できない」「よく分らない」ということになる。その意見を真に受けても意味はない。
といってプロに読んでもらうのも大変。僕の場合。そのころ(90年代初期)から、幸いなことに多くの友人が映画界で働いていた。が、彼らは多忙。睡眠時間を削って働いている。
シナリオを読むには、もの凄い集中力が必要。疲れ果てている彼らは、なかなか読んでくれない。ようやく、時間がある奴を見つけて頼み込んだ。しかし、感想はこうだ。
「何がやりたいのか?分らない。これってアニメなの?」
当時、僕が書いていたのはSFドラマ。が、そのころの日本映画には、ほとんどSFはなかった。「ゴジラ」シリーズはあったが、そのせいで日本では「SF」=「怪獣もの」という印象が強かった。
もちろん、外国映画では「ターミネーター」や「エイリアン」が既に登場。シリーズ化もされていたのに、日本を舞台にすると、その種のストーリーが想像できないようで、「分らない」「アニメなの?」という業界人が多かった。
「刑事もの」「青春もの」のような定番ならいいが、映画界で仕事するプロデュサーも、脚本家も、皆、ピンと来ないと言う。
「いや、俺は分かっている! だが、こんなものじゃ駄目だ。お前は努力が足りない」
という。が、よくよく批評を聞くと勘違いの連続。実は分かっていないことが多かった。なかなか、的確な意見を言ってくれる人には出会えなかった。
その後、脚本家の仕事を始めてからも、「よく分らない」と言われたことがある。僕が脚本、監督をした「ストロベリーフィールズ」だ。
交通事故で死んだ女子高校生が幽霊になって、帰ってくるという「青春ファンタジー」もの。第1稿を書いたのは2001年。その時代でも、理解してくれる業界人は少なかった。
「幽霊が出るんだから、ホラーだよね?」
という年配のプロデュサーもいた。これもアメリカでは昔からあるジャンル。「天国から来たチャンピオン」「ゴースト」「フィールズ・オブ・ドリームス」等の有名な作品がある。
なのに、舞台を日本にしただけで、皆、「想像できない」「イメージしにくい」という。
数年後。その種の幽霊ファンタジーが続けて製作された。「星に願いを」「黄泉がえり」等が大ヒットし、市民権を得た。その後、僕のシナリオを見せると、こう言われた。
「何だ。よくある作品のマネじゃないか? オリジナリティがないんだよなあ・・」
業界の先輩にそう言われた。数年前、彼にシナリオを読んでもらったときは「何だか、よく分からん話だなあ・・」といっていたのだが・・・。
そんな経験があるので、今、若い人たちの書いたシナリオを読むときは、緊張する。例え、面白くなくても、僕に想像力がないだけではないか?
新しい作品を知らないのでイメージできないだけではないか? 過去の経験と、狭い日本の価値観だけで見ていないか? そんなことを考えてしまう。
そして、若い人たちに伝えたい。自分が書いた作品を業界のプロデュサーが否定しても、ベテランの作家が批判しても、そのまま鵜呑みにしてはいけない。
彼らの方が古い感性で、新しいものを理解できないだけかもしれない。逆に彼らが誉めたたえ、絶賛したものは、若い観客には決して受け入れられないはずだ。
自分を信じて、新しい世界を切り開くこと。大切だと思っている・・・。
(つづく)
脚本家を目指した頃 [脚本]
このブログ。少しお休みしてしまった。
その間。僕が所属するシナリオ作家協会のリレー日記というのを担当。
「笑っていいとも」のテレフォンショッキングのように、リレーで作家が
ブログを書くというもの。僕も友人の藤岡さん(「富江R」「富江・最終章」等の
ベテランライター)からのご紹介で、参加させて頂いた。
ここしばくらのことは、そちらに詳しく書いたが、読んでない方もいると思うので
こちらのブログで加筆、リライトして再録しておく。
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高校の頃から映画が好きだった。
大阪の学校だったので、帰りに大毎日地下劇場とか、戎橋劇場によく行った。その
内に自分でも、シナリオを書いてみたくなった。
でも、どんなふう書けばいいのか?全く分からない。で、キネマ旬報とか映画
の書籍に載ったシナリオを見て勉強。見よう見まねで書き始めた。
高校を卒業後。映画の専門学校に行く。
そして自主映画を始め、助監督を経験。その後、アメリカ留学。南カルフォルニア大
学の映画科で学んだ。けど、結局、学校で学んだこと。その後、役には立っていない。
帰国後。とにかく、脚本を書き続けた。書かなければうまくなれないからだ。
なのに、まわりにいた友人たち、皆、こういう。
自主映画の友人「今、金欠でバイトしていて、シナリオを書く時間がないんだ ・・・」
助監督の「今、撮影で忙しくて、書く余裕がないんだ・・」
脚本家を目指す後輩「賞に応募しようと思うんだけど、いいネタが見つからな いんだよね・・」
皆、何か理由をつけて書こうとしない。しかし、仲間内で一番にプロの脚本家
になった友人。こう言う。
「時間がない。金がない。ネタがない。そんなことを言っていたら、一生、シ ナリオなんて書けない。3日間。時間がある。そうしたら書け。金がなかろうが 、ネタがなかろうが、何としても書く!
いいネタを思いついた。時間がなくても、金がなくても書く。金が少しある。 1週間はバイトせずに済む。それなら、どんなことをしてでも1本シナリオを書 く!自分を追い込まないと、シナリオなんて絶対に書けないんだよ!」
その通りだ。プロデュサーがやってきて、「期限は**です。よろしくお願い
します」なんて言ってもらうのは、先の先の話。何より依頼がもらえるようにな
るために、書く力を付けることが一番。そのために何本も書いて力を付ける。
なのに「時間がない」「金がない」「ネタがない」と言っていてどうする?
自主映画時代もそうだったが、何も作らない奴は人の作品を無神経に批判。「
俺ならもっと、凄いものができる!」と言っていた。僕も最初はそう思っていた
が、いざ、作ると思ったものなんて簡単にはできない。8ミリ映画でさえも何本
も作らないと、評価されるどころかイメージしたものさえ、作る事はできなかっ
た。
シナリオも同じ。自分が書きたいものを書くのにも、表現力が必要。そして書
かないと表現力は育たない。何もせずに「俺は才能があるから!」という奴もい
るが、それは勘違い。数を書かないと、人に感銘を与えるシナリオは書けないの
だ。
アメリカ留学から戻り。アルバイトをしながら、シナリオを書き始めた。でも
、次の問題が立ちはだかる。シナリオを映画会社に持ち込もうとしたら、ほとん
どの会社で拒否された。「そんな暇も、そんな人員もいない」と言われる。
そこで先輩の助監督やプロデュサーに見せてまわった。でも、彼らもなかなか
読んでくれない。シナリオライターへの道。そこからスタートしたこと思い出す
。
いろんなことがあって、何度も絶望して、また、戦って、今は脚本家をしてい
る。監督もする。編集もする。自分が書いた作品を映画化するときは、製作費集
めもする。
現在、次回作の準備に走り回っている。今回はその日々の一部を綴ろうと思っ
ていたら、思わぬ事件。
自宅にあるG4。ネットができなくなった。まず、プロバイダーに電話。どうも
マックの問題らしい。マック側に電話。アップデイトされたセキュリィティシス
テムに不具合があることが分かる。
それを修復しようと、電話での指示で2時間ほど格闘するが駄目! 解決には
3つほど方法があると言われるが、いずれも時間と費用がかかる。少し考えて決
断することにした。
そんな訳で自宅でネットができなくなった。なのに、本日より、リレー日記を
担当せねばならない。で、ネットカフェに来て、この文章を書いている。明日か
らどうしようか?
自宅せねばならない作業もたくさんあるので、この日記を書くときだけ、駅前
のネットカフェに行くしかないのか?
実はこの日記以外にも、2つのブログをやっている。以前、僕が脚本を書き、
監督もした映画「ストロベリーフィールズ」の製作日記と、今現在の状況を知ら
せるブログである。
この2つは大量に書いておき、タイマーでアップすることもできるが、どうし
よう? と考えつつ、本日はこれから「ある物」を買いに行く。詳しくは書けな
いが、法に触れるヤバイものではない。それと巨大な下敷き(?)。とりあえず
、本日はここまで。
(つづく)
続・今回の作品 シナリオについて(10ー終)泣ける! [脚本]
皆が大反対するのに、監督なり、プロデュサーの誰かが、
「この脚本で行こう!」と押し切ったとき、名作が生まれることが多い。
多くの人が賛同するシナリオはダメ。
無難で平凡な作品になりがち。
同じ意味で、友人たち全員が絶賛するシナリオではダメ。
もちろん、全員がダメというのもダメ。
で、今回の「書道♡ガールズ」リライト版。読んでくれた友人がこう言った。
「今回も『ストロベリーフィールズ』のときと同じくらいに、クライマックスは感動の連続。
前の稿もかなりいい!と思っていたけど、こっちの方がさらにいいですね。
会社で読んでいて、涙がこぼれそうで困ったよ!」
シナリオを読んで泣けるというのは、大切。
「ストロベリー」のときも、そういう感想。いくつもあった。
よし、このバージョンでOKだ!
続・今回の作品 シナリオについて(9)無難な作品? [脚本]
なので、シナリオが出来たときは、
ある程度、それが出来る友人に読んでもらう。
いつも、お願いするのは、娯楽映画が好きな友人B君。
ミニシアター系が好きなA君。まずはその2人。
趣味が両極端なので(?)とても参考になる。
しかし、両者ともに「よかったよ!」というときは危険。
どちらかがシナリオを全否定したときが、ベストということもある。
映画会社で、シナリオ決定稿を決めるとき、
複数いるプロデュサーが「いいね」と言い、
監督が「これがいい」と言い、
主演俳優の事務所がOKを出さないと
シナリオが決定しない。
が、結果、それでは平凡な作品になることが多い・・。
誰もが認めるシナリオとは、個性のない無難な作品であることが多いからだ。
(つづく)
続・今回の作品 シナリオについて(8)イメージする [脚本]
シナリオを読む上で、大切なこと・・。
まず、主人公を演じる俳優をイメージする。
綾瀬はるかなのか? 瀬戸朝香なのか?
「このお父さん。普通の俳優がやるとよくないけど、山崎努がやれば、凄く感動的になるな」
と、思えば、そのイメージで読んでみる。彼の顔を思い浮かべ、あの声を想像する。
そして、その場面はどんなふうに撮影され、照明はどうで、どこで音楽が流れて来るか?
技術面も想像して、読む。
音楽はラテン系の曲にすると、盛り上がりそう・・。
とか、単に筋だけではなく、あらゆることを当てはめて読まねばならない。
そんな読み方をして、初めてシナリオを読んだことになる。
(つづく)