悲しき少女たち(3)高校時代 [想い出]
僕が通っていた高校。進学校だった。
教師たち、分かった顔をして、こう言っていた。
「勉強するのは、自分を鍛えるためだ」
しかし、3年も勉強しても、英語が話せるようにならない。
それが自分を鍛えるということか?
鍛えるというのは、何か成果が上がるものだ。
何の成果が上がるというのか?
むしろ、英語が嫌いになった。
結局、アメリカの大学へ行き。英語を学ぶ。2年で結構、話せるようになった。
日本の英語教育。やはり、間違っている。
高校時代。ある教師はこういった。
「太田。お前、しばらく映画見るのをやめたらどうだ?
その分、勉強すれば成績が上がるぞ。
映画雑誌も、レコードも、しばらく我慢する。
大学入ってから、趣味を再開すればいいだろ?
今は反発するかもしれないけど、お前のために言ってんだぞ・・・」
そうは思えなかった。
彼は英語教師。でも、外国人と話ができない。
なのに英語を教えている。
外国人と話せるようにならない英語。
社会に出て不必要な高等数学。
何の役に立つのか?
高校時代に多くを得たのは、音楽や映画からだった。
ローリング・ストーンズやザ・フーの歌に応援され。
ボブ・ディランの歌詞から学び。
「時代は変る」に涙し、
「ロッキー」や「がんばれ!ベアーズ」に励まされた。
多くの映画から、「努力」という意味を教わった・・。
(つづく)
悲しき少女たち(2)最後のチャンス [想い出]
ある演劇学校。酷い状況だった。
経営者が映画界をまるで知らない人。
俳優になるためには、どんな勉強をすればいいか分かっていない。
はっきり言うと素人である。
演劇学校といいながら、生徒たちに無意味なことばかり教える。
なのに人集めはうまく、生徒は大勢いた。
皆、女優やタレントを夢見ていた。
健気な子が多く、間違った教えでも真剣に学ぼうとする。
が、いくらがんばっても、それで俳優になれるはずがない。
無意味なレッスンで年月を無駄にした上に、大きなチャンスを逃す。
僕のクラスだけでも、プラスになることを!と、がんばった。
素質があり、成長する子がいた、
映画でも、ドラマでも、通用する。
オーディションに出しても大丈夫だ。
なのに校長はこういう。
「まだ、そんな段階ではありません。
もっともっと努力して、実力が着いてからですね・・」
何年も前からオーディションに行くこと。禁じていたのだ・・。
一番、輝いている20歳前に・・
一度もオーディションを受けたこと、なかった・・・。
オーディションに行くのも勉強なのだ!
それを禁じてどうする?
何より女優は、20歳までにスタートしないと駄目。
その子は結局、俳優にはなれなかった。
「主役を演じなくてもいい。有名になれなくてもいい。お芝居をしたいんです・・」
その子はそう言っていたこと。思い出す。
結局、僕は新作で多忙になり、講師を辞めることになった。
その子に何もしてあげることは、できなかった・・。
悔しい。間違っている。
あの頃の思いがダブる・・
高校時代のことだ・・。
(つづく)
悲しき少女たち(1)三美子 [想い出]
先に書いた「少女たちの映画を撮る理由」
とても好評だったので、もう少し書く。
以前、演劇学校で講師をしていた。
いろんなところから声がかかり、通算10校以上で教えた。
これでも生徒には人気があって、
代打で行った学校でも後日。たいていレギュラー講師になった。
が、撮影が始まると、何ヶ月も学校へは行けなくなるので
辞めなければならない。
ある学校、三美子のような子がいた。中学生。
人と話すことができない。でも、演劇学校に通い、友達ができた。
人と話すことができるようになった。
その子、凄く素質があり、芝居が抜群にうまかった。
異常に人見知りするのに、舞台に立ち台詞を言うと別人。
どんどん成長した。
水を得た魚とはこのこと。素朴な笑顔が素敵だった。
講師からも可愛がられ、生徒の間でも人気者になる。
なのに、親は高校進学を優先。学校を辞めさせてしまう。
演劇は大学を卒業するまで、させないという。
「大学を出てからなら、女優を目指しても構いません」
そういうが、
その子はもう女優にはなれない。
大学を出てからでは遅すぎる。
やがて、その子は学校に来なくなった。
本当にまっすぐで、がんばり屋の子だった。
その子の親、こういっていた。
「私は何よりも娘のことを一番、考えています・・」
(つづく)
ロサンゼルス紹介(6)映画の看板Ⅱ [想い出]
ロサンゼルスで毎年開催されるJFFLA。
今年は「青い青い空」が上映される。
そのLAの映画看板。
デカイ。
写真上は「バットマン」
スゴイのは、どこにも「Batman」と書かれていないこと。
キャッチコピーもない。
出演者のクレジッとも、スタッフの表記もない。
ただ、「NOW」=「上映中」と書かれているだけ。
それほど「バットマン」が有名であり
それを利用した宣伝であること。分かる。
(つづく)
ロサンゼルス紹介(5)ウエストウッド [想い出]
「青い青い空」が上映される
ロスアンゼルスの映画祭。
その町で、僕は大学時代を過ごした。
写真上。大学時代の僕。
今からもう、23年ほど前になる。
UCLAのあるウエストウッドの町。
後ろに見えるのは、映画館。「バットマン」を上映中。
着ているのは、オールマン・ブラザースバンドのTシャツ。
冠っている帽子はステットソン。
今も撮影のときに、この帽子をかぶる。
(つづく)
ロサンゼルス紹介(4)映画の看板 [想い出]
「青い青い空」が参加する
ロサンゼルスの映画祭。
その町では映画看板がデカイ!
家、一軒分くらいはある。
写真上は「バック・トウ・ザ・フューチャー3」のもの。
そのでかさ。
アメリカ的でいて、さすが映画王国ハリウッドを感じさせる。
(つづく)
ロスアンゼルス紹介(3)ダウンタウン [想い出]
「青い青い空」が上映される町。ロスアンゼルス。
そこにダウンタウンがある。
直訳すると「下町」だが、中心街という意味。
高層ビルが建ち並ぶ大都会。
しかし、人々の流れはそこになく、貧しく、危ないエリアといわれる。
ビルは老朽化。1人では歩けない通りもある。
「ターミネーター」1作目で最初に出てくる危ない町がここ。
そんな一角にリトル東京がある。
そこからダウンタウンを見たのが写真上。
今、買い物や映画というと、この町ではなく
郊外のモールに行く。日本もLAも、ドーナツ現象が拡大している。
(つづく)
ロサンゼルス紹介(2)メモリアルコロシアム [想い出]
「青い青い空」が上映される。
Jpan Film Festival
開催されるのはロサンゼルス。
オリンピックの開会式をした会場もそこにある。
メモリアル・コロシアム。
USCの裏手にあり、8万人を収容できる施設。
「24」の第3シーズンあたりでロケ。
ジャックバウワーも、ここで戦った。
通常はアメリカンフットボールの会場として使われているが
コンサートでもよく使われる。
「ボーン・イン・ザ・USA」ツアー時の
ブルース・スプリングスティーン。
U2、ピンクフロイド、ローリング・ストーンズ
と、大物バンドがロスでコンサートをするときは
皆、ここ。
自動車がないと暮らせないLAだが、
USCの近所に住んでいた頃は、歩いてコンサートを見に行った。
(つづく)
ロスアンゼルス紹介(1) [想い出]
「青い青い空」が出品される
Japanese Film Festival。
開催されるのはロサンゼルス。
僕は6年住んでいた。
少し紹介する。
写真上。マンズ・チャイニーズ・シアター。
観光地にもなっている有名な映画館。
昔はアカデミー賞の授賞式が行われた。
このときは、マイケルJフォックスの
「摩天楼はバラ色に」を上映していた。
(つづく)
USC 南カルフォルニア大学紹介(3) [想い出]
トロージャン像。
USCの象徴。シンボルマーク。
卒業式はこの前で写真を撮るのが恒例。
僕が勉強した大学。こんな感じ。
建物がそれぞれに個性があり、おしゃれ。
映画の撮影にもよく使われる。
ジョン・カーペンター監督(卒業生)の
「パラダイム」もここで撮影された。
あと、ジョージ・ルーカスが来て
「七人の侍」を上映。解説をしてくれるなんてイベントもあった。
そのルーカスやスピルバーグが巨額な寄付していて
映画の最新機材も豊富。
アキラクロサワの名前を付けた建物も、僕が帰国したあと出来たらしい。
(つづく)