富士山河口湖映画祭⑨/地域で映画を作る意味 [河口湖映画祭]
富士河口湖映画祭の交流会
そこでスピーチさせてもらったこと、書いてみる。
ここ10年ほど、映画による町興しが各地で盛んに行われている。
通常は映画会社にアプローチ。地元でロケしてもらうように頼む。
が、富士山河口湖映画祭では自ら映画を製作。地元で撮影、上映する。
河口湖の美しい風景を多くの人に伝えようとしていた。
けど、地元での映画作りは外部に対するPRだけではなく、
もうひとつ素敵なことがある。
町に住む人たちが、自分たちの故郷の素晴らしさを再発見するということ。
と、いうのも、いつも見慣れた風景がスクリーンを通して見つめると
こんな素敵な景色だったかな?と驚くのだ。
俺たちの町。意外にいいじゃないか? そんなことに気づく。
他県にアピールする前に、まず自分たちが故郷の良さを再発見するのである。
さらに、映画はフィルムにしておけば100年保存が効く。
娯楽として、芸術としての映画を超えて、記録。歴史としての意味も持つ。
100年前の河口湖は、こうだったんだ。
”あっ、おばあちゃんが出ている。この頃まだ子供だったんだだなあ!”
そんな風に時を超えて、世代を超えて町を人を家族を見つめることができる。
それが地域で映画を作る、もうひとつの意味。
浜松や和歌山では、何十回もそんな話をさせてもらったものだが
そんな思いで浜松で”青い青い空”を撮り
和歌山では”ストロベリーフィールズ”を撮った
それぞれの町の、本当に美しい場所でロケしている。
ただ、それら場所が数年でなくなったりもしている。
それが再開発をする上で必要なのか?
それとも町の大切な財産を壊しているのか?
そんなことを考えるきっけにもなる。
”ストロベリーフィールズに出演してくれた地元の高校生。
今や一児の母となった子もいる。
その成長を見つめることができのも、映画。
そう。映画は家族のアルバムならぬ、故郷のアルバム。
家族や町の歴史。想い出や文化の記録
それらを未来に伝えてくれるのである。
(つづく)
コメント 0