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追悼、長門裕之さん / 遺作「青い青い空」 [2011年]

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 2011年5月22日、夕方

 「青い青い空」に和尚役で出演して頂いた

 長門裕之さんが亡くなった。

 77歳。

 僕が監督した「青い青い空」、映画での長門さんの遺作となってしまった・・。

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 最後にお会いしたのは、「青い青い空」の試写会。

 一番前の席で、見てくれた。

 上映が終わると、あたりをキョロキョロ。

 僕を見つけると、笑顔でおいでおいでをする。

 飛んで行くと

 「監督、素晴らしい映画でしたよ!」

 もの凄い笑顔で、握手を求められた。

 「近々、大きな手術をするんだけど、また次回作も頼みますよ」

 と言ってくれたのが、最後となった。

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 長門さんは、日活のスターとして

 石原裕次郎、二谷英明らと大活躍していた俳優、

 石原慎太郎・原作の「太陽の季節」は長門さんが主役。

 僕らの世代だと、「特捜最前線」の窓際警視。

 「スケバン刑事」の暗闇指令として有名だった。

 当時の話を伺いたかったのだが、撮影中はその時間もなく

 八代先生(波岡一喜)の台詞

 「機会は何度もない」

 を思い出す。

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 撮影はほぼ1年前。2010年の4月中旬。

 まさか、最期の映画出演になろうとは思いもせず

 ロケ現場でご一緒した。

 大スターであり、名優であり、大ベテランでもある彼は

 僕のような若輩者の監督にも、敬意を持って接してくれ

 「もし、芝居がよくなければ、もう一度と言って下さいよ!」

 と気を使ってくれたりした。

 名優にNGと告げるのは、とても大変なこと。分かってくれていたのだ。

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 長門裕之さんの奥様。南田洋子さんとも

 お仕事させてもらったことがある。
 
 大林宣彦監督の「理由」。

 僕はメイキング担当で、南田さんのインタビューを撮らせてもらった。

 そのときの話。長門さんにさせてもらったのも思い出す。

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 「青い青い空」でお願いしたのは、物語のキーパーソンとなる和尚。

 イメージは今東光だった。

 映画でいえば「赤ひげ」の赤ひげ先生。 

 和尚だが、威厳あるタイプではなく、庶民的で愛されるキャラ。

 どんな俳優さんにお願いすればいいか?

 いろいろと考えた末。長門さんを思いついた。

 しかし、大ベテランの名優。僕の映画なんかに出てくれるだろうか?

 駄目元でお願いしたら、即、OKの返事を頂いた。

 嘘でしょう?

 何かの超大作と勘違いされたのではないか?

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 そう思って、お会いしたときに訊いたら、

 「シナリオが素晴らしかったので、ぜひ出たいと思ったんだよ」

 そう言ってくれた。それどころか

 「もっと、他のシーンにも出たい。そんな場面を作ってほしい!」

 と言われた。素敵な作品なので、3シーンではもったいないと言われる。

 「でも、そうなるとギャラも上がるし、駄目ですよ」

 「いや、ギャラはそのままでいいから、他の場面も出たい!

 俺、そんな長くはないから、生きている内に出してよ」

 と笑顔で言う。ちょっと困ったが、監督としては光栄だ。

 そこで作ったのが、松坂慶子さん演じるオカンとの共演場面。

 撮影現場は凄かった。

 お寺、本堂の入り口近くには長門裕之さん。

 中央窓際に松坂慶子さん。

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 もう、そこはザ・日本映画である。
 
 日本映画を何十年にも渡り、支えて来た大物スター2人がそこにいるのだ。

 そして、当時もう76歳だった長門さん。

 なのに、和尚役の長台詞を完璧に覚えてられて、

 一度も間違わずに、こなした。

 さらに相手役のミシェル演じるデビー先生と

 ミチル役の平沢いずみの台詞は英語。

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 それに和尚が日本語で答えると場面。
 
 かなり難しいものだが、長門さんは見事な演技を見せてくれ

 映画の中でも、屈指の名場面となった。

 共演した平沢いずみ。ブログで想い出=>http://ameblo.jp/1zum123/entry-10900045019.html

 ミシェルのブログ=>http://beamie.jp/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=50327

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 また、そのシーンこそが物語のテーマを語ったシーン。

 長門裕之さんなくしては成立しないものだった。

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 そんな映画のクライマックスが書道大会。

 長門和尚はテレビで観戦している。

 その大会の日。

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 撮影は昨年2010年だが、映画が公開されるには1年ほどかかる。

 そこで物語の中は、2011年という設定にしたのだ。

 物語では長門さんが亡くなったオカン(松坂慶子)の遺影を持って

 大会を応援するのだが、

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 そのご本人が大会の日以前に、逝ってしまうなんて・・・。

 だが、そんな名優とご一緒できたこと。

 本当に感謝。

 「また、次回作でも頼みますよ」

 そう言ってくれた長門さんの言葉。忘れられない・・。







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