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「青い青い空」が何度も見たくなる理由 [演出]

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 浜松で上映第6週目の「青い青い空」

 すでに1万5千人ほどの人が見てくれている。

 「2度見ても、3度見ても感動する!」

 と言ってくれる。

 が、通常の映画は1度見れば十分。

 2度目はネタバレしているので、それほど感動できない。

 これがもし「2001年宇宙の旅」のような難解な映画なら

 何度も見ることで疑問を解決することができる。

 でも、「青い青い空」はストレートな物語。

 では、何が何度も見たくなる理由なのか?

 その辺を追求してくれたブログがある。

 僕自身もまだ、明快な答えを持っていないので、興味深く読ませて頂いた。

 こちら=>http://ameblo.jp/ka-ko112/entry-10707817732.html#cbox

 みなさんも、もし、その理由等をお気づきなら

 ぜひ、こののページ「コメント」に書き込んで頂きたい。

 「青い青い空」はなぜ、何度も見たくなるか?

 面白いものは紹介させて頂く。

 
ポスター.jpg


 
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コメント 3

上杉先生

太田監督の作品はスクリーンの中の人たちと、それを観るお客さんの感覚が近いのだと思います。

ハデなアクションや爆破がある映画は、それはそれで度肝を抜かれたりしますが感覚としては『カッコいい~!』『スゲェ~!』

決して自分の周りでは起こりにくい非日常的な感覚。

青い青い空は書道ガールズたちと同世代は、まさに今
大人たちは自分が高校生だった頃、親はそれにプラス子供たちのこと。

自分たちが経験し、または近い感覚をもった頃があったのだと思います。

自分が高校生だった頃、八代先生みたいな人に出会っていれば今の自分より、もうちょっとマシになってたと思います。

誰もが経験する感覚や想い。その気持ちを伝えることが大切だと教えてくれる映画青い青い空です(^O^)

by 上杉先生 (2010-11-16 19:20) 

こ~めぃ

映画「青い青い空」を何度も見てしまう理由。
監督からの宿題は、意外に難題でした(^_^;)

この映画を全国の人に見てもらいたい、という使命感から、
「見たくなる」よりは「見なきゃ」という感覚でいるんだろうと
自分自身で思い込んでいたので。

しかし、6回観て6回とも楽しみ、感動している自分がいる。
こりゃ何かあるんだろうな、と感想を書きつつ考えてみました。


①「水戸黄門」的安心感
「青い青い空」のストーリーはほぼ頭に入っています。
すると、このシーンで必ず泣ける!と分かっているから、
安心して泣ける、という(^_^;)、水戸黄門の印籠的理由。

②見逃した、聞き漏らしたところの再発見
他の方の感想などではじめて気が付いた部分を追体験したくて、
もしくは再発見するためにもう一度観る。
また、地元浜松が舞台だけに、細かい部分で何か発見がないか、
いろいろ重箱の隅をつつくようなチェックをするために観る(^_^;)

たまに、「あーここはこうだったらもっといいのに」と思うような所を
見つけてしまうのは御愛嬌ヾ(- -;)


いや、これじゃ不十分だと思い、そのとき書いた感想を読みつつ
再検討。
そうしたら、根本的な理由が見つかりました(^-^)


③登場人物それぞれの気持ちになって観る
6回目を観たときの感想、ミチルよいしょで書き上げました。
そういえば、毎回登場人物の誰かに着目して観ていないか?

単にストーリーを追って、泣ける所や細かい部分を観るだけじゃなく、
感想を書くときにメインで書きたい人の気持ちを特に感じようとして、
ミチル目線だったりトン子目線だったりと、
いろいろな登場人物の視点から観ていたことを思い出しました。

太田監督がどこかで「この作品は群像劇である」と話されたことを
思い出します。
真子は、主人公ではあるけれど、あくまで彼女の視点を中心に
作品をまとめている、という意味の主人公。

そう、「青い青い空」は、真子ひとりのストーリーではありません。
書道部の仲間5人、八代先生、家族、学校の友達、先生・・・。
すべての人にとても深いそれぞれのストーリーがあります。
(とてもブログには書けないような話ばっかりですが(^_^;) )
以前「スピンオフ作品を作れと言われれば何本も作れるよ。」とも
監督がおっしゃってたくらい。

そんな、スクリーンからは見えない無数の人生が積み重なった上に
この作品が作り上げられているわけです。

だから、それぞれの登場人物に感情移入して、彼女や彼の思いを
すくい取ろうと思って映画を観れば、
そのたびに新たな発見、新たな感動をすることができるわけです。


ここに至って、やっとうち自身もすとんと腑に落ちた気がしました。
観る側が、登場人物それぞれの思いを感じながら観られるから、
何度観たとしても飽きがこない。
そして、いろいろな登場人物に感情移入してみたくなるから、
何度も観たくなるのだと。


しかし、他の作品でそこまで登場人物の気持ちをくみながら
観られる作品がどれだけあるか・・・。
おそらく、今までうちが観た映画の中では「青い青い空」が
唯一だと思います。

だから「青い青い空」って
「とんでもない映画(by大林監督)」
なんですよ、きっと(^-^)

by こ~めぃ (2010-11-18 21:54) 

ミカタ

メールアドレスで素性は分かってしまうかもしれませんが、病院のロケ場面に立ち会っていました。こんな機会はまたとないなだろうと思いましたし、私が立ち会うことで職員に対して病院として認めている撮影であることを示して邪魔が入らないようにするという意図も多少ありました。出演場面終了の方をねぎらうセレモニーが病棟の廊下で始まった時はちょっとあわてましたがね。
松坂慶子さんのような大女優を間近で見られるというのも感激でしたが、高校生役の女の子たちが可愛らしく、それを眺めているのも楽しいものでした。
是非見なければと思いつつ、試写会にも誘われながら時間が取れず、その後もなかなか都合がつかず、やっとそのチャンスが来ました。事情通の職員から監督のブログがあるということは聞いていましたので、それを見て予習をして臨んだ形です。
実際に見るといろいろ発言したいことが出てきました。感想は批評とは違うでしょうから、このような場が設けられているので遠慮なく書き込ませてもらいます。

噂通り泣ける映画でした。しばらく見ていると何となく展開は予想できるものでしたが、それでも何気ないシーンで涙が出ます。
撮影場面の一部を見ていたこともあってか、同じようにさりげないシーンが感動を呼ぶということで思い出した映画があります。フランソワ・トリュフォーの「アメリカの夜」です。映画を作る物語でしたが、いろいろトラブルが発生しながらも、再び撮影が動き出すところでなぜかジーンと来てしまったものです。ここぞという場面で流れるジョリュリュ・ドリュリューの音楽も一役買っていました。「青い青い空」の主題歌もそんな役割を果たしていますね。ひたむきさというようなものが感動を呼ぶのかなと思います。そう言えば、予習の効果もあって、あべさとえさんのカメオ出演の場面も分かりました。

ボブ・ディランがブラジルのプロレスラーというところは思わず吹き出してしまいました。これはまさに世代の違いですね。

小説は読むことではもちろん、映画化することでも違った形で感動出来ますが、残念ながら本の方が良かったということもあります。優れた映画では、文章で数ページ要するような内容を、ほんの数秒で表現させることさえあります。今回、改めて映画には文章とは違う表現法があって、それがうまく行った時にはその映像だけで感動させられるものだということを再認識しました。
例えば、いろいろなトラブルを越えて、それぞれが書道を練習する場面に四季のシーンが展開しますが、ストーリー的には奇妙なものです。しかし、それまでのシーンが生活感溢れるリアリティに富んだものであっただけに、ファンタジックな季節感溢れる風景を織り交ぜた画面には、それだけで映像美を感じました。このシーンは時間経過を表すものではなく、書道ガールズたちが生まれ育ち、今も生活するその土地が、彼女たちのひたむきな努力を支えているというようなメッセージが隠されているような気がするのです。ここでは何も言葉は語られないけれど、画像そのものが語るべきものを持っているということを強く感じました。

ところでストーリーの面でちょっと気になっている点があります。浜田先生の子分のような動きをしている数学の教師、中山?先生のことです。出場辞退の手紙をデビー先生に渡す場面、何となく机の下で不自然な動きをしているように見えました。その後の展開を思うと、これは偶然ではないのではないか、手紙は意図して投函されなかったのではないかという気もしてくるのです。彼は実は面従腹背的行動をしていたのではないでしょうか。大会のテレビを見ているシーンでの振る舞いでも何となくそんなことを感じました。邪推かもしれませんが。

若い書道ガールズの演技もなかなかのものですね。相葉香凛さん、かわいいだけでなく、自然な演技に好感が持てます。自我がありながら、まだ周囲の声に思い切って立ち向かえる程には自立は出来ていないという高校生らしさが伝わってきます。気持ちの上での揺れがよく表現されていますね。浜田先生に辞めるように言われ、その場で反論出来ないでいるところ、みさととの口論、思い切って職員室に向かいながら、途中で引き返してしまうところなど、本当にその心情がよく分かります。あまり長い科白ではなく、途切れ途切れのような話し方が、むしろ現実の悩み多き高校生らしさを出しているように思えました。
みさと役の草刈さん、撮影の時にはあまりこれと言ったイメージが湧かなかったのですが出来上がった作品の中では、本来の草刈さんの姿とは多分違うのでしょうが、いま時の高校生らしい溌刺さ、かわいらしさを感じました。真子とは違って長い科白も多いのですが、流暢に話すところも堂に入っています。
ミチル役の平沢さんは、ロケの際にカメラを提げて病室から出てくるところを何度も見ましたが、いつも仏頂面で、本当は美人なのになぜあんな表情をしているのだろうと不思議に思ったものです。ストーリーが分かると理由が分かってきました。彼女もまた、自ら思うところはあるのに、体裁などを意識して殻を破れないでいた女の子の一人ですね。「だから銀賞止まり」と言われるのも無理はありません。終盤での演技では、笑顔はありませんが前半の表情とは違った生き生きとしたものが感じられ、一皮むけたということが表れていました。
三美子役の橋本さんは、自分の思いを伝える手段は言葉だけではないということを、いろいろな形で表現していたように思います。でもここぞというところでは言葉でしたね。存在感が薄いようでいて、結果的に彼女が崩壊を救ったような形になっているわけで、それが決して不自然な仰々しいものでなく表現されていたのはすばらしいと思います。
トン子役の田辺さん、役柄はある種の道化のような要素があると思いました。道化はサーカスで最も地位が高いものだという話を聞いたことがありますが、周囲をいい気分にさせるという役割になるのでしょうか、そんな役回りをうまく演じてくれていました。彼女もまた表向きの姿と隠された本音がある、ちょっと屈折した面を持つ女性ですね。

八代先生の回顧談は一種の人情話のようでありながら、これが挿入されることで、ただ単に若者の個性を伸ばすように自由奔放にさせればよいということではなく、大人の言い分にもそれなりに意味があるのだということも示す形になりましたね。

デモンストレーションを完成させたところが最後のシーンであったのは大変よかったと思います。彼女たちがやり遂げたことが重要なのであって、仕上がったものを評価することはこの場合無用と言うべきでしょう。清々しさを感じながら余韻に浸ることができます。

自分の思いを表現するのが書道だということならば、映画監督にとっては作品こそがその思うところを伝えるものということになりますね。多分その伝えたいことをアピールすることは実現していると思います。だからこそ見た人は皆感動し、涙を流すのでしょう。

長々ととりとめのない話を書き込んでしまいました。読んで頂きありがとうございました。実はロケの際、エキストラで出ないかと誘われながら断ってしまったことを後悔しています。格好をつけるのは良くないですね。
by ミカタ (2010-11-22 07:32) 

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