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K−20 怪人二十面相伝(中)クラリス・たか子 [映画感想]

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 映画監督たちはあまり言わないが、彼らが目指している映画というのがある。ときにはお手本にしたり、あるときはオマージュとして、あるときはその作品を自分流にして、作品を作ることが多い。
 ジョージ・ルーカスは「フラッシュ・ゴードン」を目指して「スターウォーズ」と作った。黒澤明はジョン・フォードの西部劇に憧れて、時代劇を作っていた。

 その監督が「何を目指しているか?」が分かれば、方向性や意味も理解できる。でも、それをよく「***パクりだ!」と鬼のクビを取ったように批判する人がいる。が、それは大きな間違い。
 パクるというのは、自分では考えずに真似し、盗むこと。僕がいうのは、自分の好きな作品を理解。昇華し、自分なりのものとして、作ることである。

 それでいうと、「k−20」は宮崎駿監督の「ルパン3世/カリオストロの城」のオマージュを目指したのだろう。昭和初期の町を舞台にしたのは「帝都物語」がやりたいのではなく、日本にカリオストロ公国を成立させるため。

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 松たか子がクラリス。お姫様だけど、泥棒(金城武)と共に行動。惹かれて行く。この関係。「カリオストロ」だけでなく、テレビシリーズの「ルパン3世」の最終回。「さらば愛しきルパン」にも通じる。
 ラムダを操る少女マキ。クラリスよりも活発で、大きな機械も使いこなす。そういえば、あの話も偽ルパンが現れる話。それもこの映画と同じ構図。

 あのときは銭形警部が実は、ルパンだったというオチ(もちろん、変装してルパンがなりすましていた。ラストに本物が登場)。それを「K−20」では明智小五郎が二十面相だったという反対の構図にしてある。

 さらに松たか子が乗る小さなヘリ。あれは「天空の城ラピュタ」の羽根のある小さな飛行船がモチーフだろう。シータを助けに行く場面と、金城武を救出する場面がダブる。
 また、クライマックスで爆破された塔から、金城武を救いだしたあとの場面はまるで、「カリオストロ」のラストシーン。
 松たか子が「私も連れてって下さい」と言う。そのあとに「泥棒も覚えます!」と台詞が続くかと思ったくらいだ。

 そして・・。


(つづく)


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