後輩監督を悼んで(6ー終)残された者の義務 [日々報告2008]
渋谷の飲み屋。林田君もよく来たという店。「ブリュレ」のポスターも貼ってある。ぬるくなったビール飲んでいると、先輩が話しかけてきた。
「太田ぁ。お前は死ぬなよ!お前は必ず次回作を作れよ。最近、映画が好きな奴からいなくなる・・。お前は必ず映画撮れよ! 林田の分も映画撮れよ!」
「ストロベリ-フィールズ」のマキと同じことを言われた。先にも書いたが、あの映画。本気で遺作になってもいいと思ってかかっていた。全てを賭けて作った。
「デビュー作が遺作!」それがキャッチフレーズだと思っていた。けど、僕は死なずに、次世代の林田が先に逝く。本当にデビュー作が遺作になってしまった・・。
最近、特に感じること。先日のドキュメンタリー番組をやっていても思っていたこと。生き残った僕の、次のテーマは・・・。
「死なずに、作品を作り続けること・・・」
死んで行った友人たちの分も、作品を作ること。改めてそれを感じる。
後日。林田とよく行った近所の中華料理屋へ。彼の住むアパートと隣にあるビルの地下。
「また、餃子。食べに行きませんか?」
それが合い言葉になっていた。年賀状にまで「また、餃子を・・」と書いていたので笑った。
互いに何かあると「そろそろ、餃子でも・・」とかメールを出した。その店でビールを飲み、餃子を食べて映画の話をした。最後に彼と電話で話したのもここ・・。
「今、餃子食べてんだけど、降りて来ない?」
彼の部屋。中華料理店の隣のビルの5階だ。2分で来れる。でも、こう言われた。
「今、銀座にいてすぐに戻れないんです!」
「残念。じゃあ、また連絡するよ!」
それが最後の会話となった。その店で、林田を偲んだ。いつものように生ビールを2杯頼む。1杯は僕。もう1杯は彼の分。
そして餃子もオーダー。最後の乾杯。これからは同じテーマを描く作家として、林田の分も映画を作って行く・・。
そんな彼の遺作「ブリュレ」。東京公開が盛況の内に終了。次は名古屋で公開。僕の「ストロベリーフィールズ」もかけてくれたシネマスコーレさんで上映されると聞く。
とても素敵な映画館で、舞台挨拶でもお世話になった。多くの有名監督のサイン色紙に混じって、僕のも飾ってくれている。
名古屋の方はぜひぜひ、ご覧頂きたい。華やかな商業映画ではないが、ポエトリィで繊細。「生きるということ」を描いた素敵な作品である。
(了)