後輩監督を悼んで(3)デビュー作が遺作 [日々報告2008]
結局、林田君の「ブリュレ」を見たのは、彼の訃報を聞いてから。
双子の女子高生の物語だった。
1人は難病で死が近い。もう1人は放火癖を持つ。
2人は警察に追われ旅に出る。
「最後に想い出の海を見たい・・」
と、知り合ったキック・ボクサーらに助けられながら、
その海を目指すという物語。
僕が監督した映画「ストロベリ-フィールズ」と同じ方向の映画であり、
共通するテーマがいくつもあった。
だからこそ、彼は人一倍「ストロベリー」を理解し、
感動。劇場で号泣したのかもしれない。
「太田さんの映画に凄く励まされました。僕もがんばります!」
と言っていた。
その作品「ブリュレ」。仲間の応援を得て、4年ほどかけて撮影。
製作費がなくなり何度も撮影を中断。夏が終わり、冬が来て、また夏が来る。
そしてまた冬・・・・。
主役の女子高生がどんどん成長して、困ったという。
結局、何百万円も借金。2年前に完成。
さらに2年かかって、ようやく公開。
僕が「ストロベリ-」で経験した厳しい年月に、限りなく近い生活を送っていた。
他人事とは思えず、応援していた!
僕がやってうまく行ったこと。失敗したこと。彼にはいろいろと話していた。
そんな彼の映画、やっと公開されたのに・・・。
その作品が遺作となり・・・・32歳で人生を終えるなんて・・・。
(つづく)
双子の女子高生の物語だった。
1人は難病で死が近い。もう1人は放火癖を持つ。
2人は警察に追われ旅に出る。
「最後に想い出の海を見たい・・」
と、知り合ったキック・ボクサーらに助けられながら、
その海を目指すという物語。
僕が監督した映画「ストロベリ-フィールズ」と同じ方向の映画であり、
共通するテーマがいくつもあった。
だからこそ、彼は人一倍「ストロベリー」を理解し、
感動。劇場で号泣したのかもしれない。
「太田さんの映画に凄く励まされました。僕もがんばります!」
と言っていた。
その作品「ブリュレ」。仲間の応援を得て、4年ほどかけて撮影。
製作費がなくなり何度も撮影を中断。夏が終わり、冬が来て、また夏が来る。
そしてまた冬・・・・。
主役の女子高生がどんどん成長して、困ったという。
結局、何百万円も借金。2年前に完成。
さらに2年かかって、ようやく公開。
僕が「ストロベリ-」で経験した厳しい年月に、限りなく近い生活を送っていた。
他人事とは思えず、応援していた!
僕がやってうまく行ったこと。失敗したこと。彼にはいろいろと話していた。
そんな彼の映画、やっと公開されたのに・・・。
その作品が遺作となり・・・・32歳で人生を終えるなんて・・・。
(つづく)